映像作家としてとは? わかりやすく解説

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映像作家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:41 UTC 版)

実相寺昭雄」の記事における「映像作家として」の解説

映画監督としては日本人特有の民族性風土テーマにした作品で有名。大島渚グループとの親交深く劇場デビュー中篇宵闇せまれば』の脚本大島執筆したほか、田村孟佐々木守石堂淑朗といった脚本家組んだヤマト王権以前まつろわぬ神々、日本原住民的なものへの興味は、こうした脚本家たちとの間で醸成され、『ウルトラQザ・ムービー』『帝都物語』にまで受け継がれている。とりわけ石堂とはデビュー長編無常』以下『曼陀羅』、『哥』のATG三部作タッグ組み京都滋賀福井にかけての陰鬱な景色切り取りながらの強烈なディスカッションは、当時日本映画大きな衝撃与えた1974年刊行小学館万有百科事典第3巻音楽・演劇内の日本映画」の項目では黒澤明木下恵介市川崑山田洋次並べて挙げられ現役(当時の)有力監督5人の一人となっている(執筆滝沢一)。 エロティシズムへの拘りから、容赦ない描写話題呼び、「膣掃除」の異名奉られたこともある。女優オーディションをする際にも、「2万回くらいヤってやり疲れたような女が欲しい」と嘯いていた。寺田農実相寺エロティシズム本質SMであると語っている。池谷仙克によると、酒を飲んで映像論を語るようなことはしなかった。ウルトラ怪獣女性も、異形のものが全般的に好きだった語っている。 多く作品タッグ組んだ美術池谷仙克撮影監督中堀正夫照明監督牛場賢二らとともに独特な構図照明行い(彼らは助手時代含めると約40年実相寺作品関わり続けており、初参加する俳優はその一糸乱れぬチームワーク映像作り驚嘆したという)、また終生つきあい続けた岸田森寺田農筆頭個性の強い「実相寺組」の俳優陣田村亮小林昭二草野大悟堀内正美清水綋治東野英心嶋田久作佐野史郎桜井浩子加賀恵子吉行由実大家由祐子三輪ひとみなど)の魅力相俟って何とも言えない陰翳情感醸し出している作品が多い。ことに岸田森は、『怪奇大作戦』恋愛話を撮り担当ドラマで「レギュラー対す共感をもったのは岸田森から」と述べている。演出姿勢として自らの画に集中し役者がどう演技するかは拘らなかった。寺田農は「最期まで役者芝居信じなかった人だった」と語っている。このため「まるで小道具扱い」と捉え実相寺作品に出るのを嫌がった俳優多かった特撮関係では特技監督大木淳デザイナーとして池谷仙克プロデューサーとしては鈴木政信らが、円谷特技プロ時代からコダイグループ結成後まで長年実相寺作品支え、名スタッフとされた。 作風はとにかく「エキセントリック」の一語尽きる。特にアリフレックスなどの16mmキャメラ軽さ生かし斜めからのアングル、「なめ」、「レフ板」を極端に排除して逆光浴び登場人物ワイドレンズ使って画面が歪むほどの接写といった特異なカット多用した。『現代主役 ウルトラQのおやじ』での対談シーンでは、部屋の隅や鳥籠など物越しに撮る「なめの手法」に拘り円谷英二監督に「ずいぶん変なところから撮るね。鳥籠どけたげようか?」と言われ東宝森岩雄プロデューサーにも「窮屈なところにカメラ入って大丈夫ですか?」と声をかけられたと述懐している。この際円谷監督に、「パララックス視差)のあるミッチェルキャメラだと、対象集中して撮影できるんだ。一度ミッチェルで撮らせてあげたいな」と言われたといい、後年に『宵闇せまれば』で35mmミッチェル使用し、「初め円谷監督言葉の意味わかったミッチェル横綱相撲前に小賢しい16mmポジション撮影馬鹿らしくなった」と語っている。 TBS時代は、欧州ヌーヴェルヴァーグ隆盛期でもあり、キャメラ手持ち用に改造させたり、13尺高の真っ白いセット組んで下からマイク入れる、『大人は判ってくれない』(1959年フランソワ・トリュフォー監督)のストップモーション技法触発され芝居タイミング合わせてフリップにしたスチール写真映し同様の効果を狙うなど、ビデオ撮り映像様々な技法試している。が、結果としてこれらの前衛姿勢が局の理解得られず、干される原因となったのは来歴通りである。 また、実相寺円谷特撮醍醐味は「ミニチュアや物への質感拘りフェティシズムである」と論じCG暴れゴジラなど見たくもない、とも述べている。「お涙頂戴難病物や凡百心理ドラマよりも職人性が発揮される特撮フィクション格下とみられがち」なテレビ界の風潮を残念がり、「ぼくはダイニングキッチン出てくると見ないようにしている」、「バカバカしいけど面白い、それがフィクションだ」と語っている。差別階級あってこそのドラマであり、「貴族のいない社会芸術生まれない」とも述べている。 実相寺撮影現場一種独特な雰囲気であり、スタッフ友達のような関係を築きながら自らの世界引き込みスタッフ実相寺の高度なイメージの謎に魅せられながら仕事共にするという、カリスマいたものがあった。これを上原正三は、「いわば実相寺という宮司中心とした、神事か祭のような現場だった」と表現し、「実相寺教の儀式めいた雰囲気があった」と述べている。これを受けて池谷仙克は、「創作者一人狂気の中に入っていくもの、また映画大勢狂気の世界入っていく。そのある意味狂った儀式中心に実相寺監督はいた」と語っている。 1980年代以降は、戦前・戦後東京舞台とした作品多く手掛けている。特に江戸川乱歩作品については、実相寺自身東京変化に気づいた時に乱歩作品描写される戦前情景印象的なものと感じるようになり、ミステリー部分に並ぶ重要な要素位置づけている。TBSディレクター時代東京大きく変化する東京オリンピック渦中にいたため、乱歩作品映像化することは考えていなかったという。 晩年は病も重なって言語によるスタッフへのコミュニケーションが度々不自由になり、叱責することなど多分になかった実相寺苛立つことが多くなった。ある晩年時の撮影最中カメラフレーム撮影機材映り込みスタッフ一人退かせようとしたが、実相寺激怒してそれを止めたという。脚本ト書き虚構と書いてあるから退ける必要はないというのがその理由だったが、撮影現場全て虚構対象であるという実相寺独自の持論垣間見え逸話である。

※この「映像作家として」の解説は、「実相寺昭雄」の解説の一部です。
「映像作家として」を含む「実相寺昭雄」の記事については、「実相寺昭雄」の概要を参照ください。

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