日本海軍の対応とは? わかりやすく解説

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日本海軍の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:16 UTC 版)

アッツ島の戦い」の記事における「日本海軍の対応」の解説

アメリカ軍アッツ島来攻時、日本海軍において北方方面担任していたのは第五艦隊司令長官河瀬四郎海軍中将)であり、第五艦隊司令長官北方部隊指揮官兼ねていた。当時北方部隊軍隊区分は、主隊(北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官直率:重巡摩耶第二十一戦隊木曾多摩〉)、支援部隊妙高羽黒)、水雷戦隊第一水雷戦隊司令官森友一海軍少将阿武隈、第6駆逐隊、第9駆逐隊、第21駆逐隊〉、長波五月雨、響)、潜水部隊航空部隊第二十四航空戦隊司令官、第752航空隊飛行艇隊)であった日本本土東方における邀撃作戦に関しては、第四空襲部隊指揮官第二十四航空戦隊司令官山田道行少将)が聯合空襲部隊指揮官として厚木海軍航空隊豊橋海軍航空隊併せて指揮した。なお米軍のアッツ島来襲後の5月18日をもって第十二航空艦隊司令長官戸塚道太郎中将)が新編され、軍隊区分上は「第二基地航空隊となった従来第五艦隊重巡洋艦那智」を旗艦としていたが、同艦はアッツ島沖海戦損傷し内地帰投横須賀海軍工廠損傷修理レーダー装備工事をおこなっていた。「那智」は5月11日横須賀出発し北方へ向け移動であった5月15日幌筵着)。那智不在の間、第五艦隊旗艦軽巡洋艦多摩」や重巡洋艦摩耶」が務めた。また第五艦隊隷下第一水雷戦隊旗艦軽巡洋艦阿武隈であったが、アッツ島来攻時の同艦は舞鶴海軍工廠修理整備をおこなっていた。「阿武隈」は急遽出渠し、5月17日舞鶴出発5月20日幌筵島片岡湾に到着した第五艦隊主力艦として開戦時より北方活動していた軽巡洋艦多摩」も舞鶴海軍工廠修理整備をおこなっており、同艦も5月20日舞鶴出発幌筵片岡湾着は22日であった日本海軍北方部隊複数の伊号潜水艦配備して哨戒索敵任務のほかに、アッツ島キスカ島への輸送投入していた。 5月11日水上機輸送任務のために特設水上機母艦君川丸」が軽巡洋艦木曾」、駆逐艦白雲」「若葉」の護衛のもとアッツ島へ向け幌筵出撃した。米軍アッツ島上陸報告受けてアッツ行を中止偵察試みた悪天候により水上機発進できなかった。各艦の幌筵帰投5月15日であった5月12日アッツ島上陸をうけて、北方部隊指揮官第五艦隊司令長官)は重巡洋艦摩耶」に将旗掲げアメリカ艦隊攻撃のため幌筵出撃した。だが視界が効かず、アメリカ艦隊交戦することなく引き返した5月15日幌筵帰投)。並行して北方部隊指揮官アリューシャン方面輸送任務についていた潜水艦アッツ島に向かわせた。また連合艦隊複数潜水艦北方部隊編入した。北方部隊のうち、キスカ輸送終えた伊31」と「伊34」は、キスカからアッツ島むかった。「伊35」は幌筵出撃し、アッツ島むかった5月13日、「伊31」は米戦艦ペンシルベニア」を雷撃したが命中せず伊31魚雷2本命中と報告)、米駆逐艦爆雷攻撃によって撃沈された。「伊34」(資料によっては伊34のほかに伊35損傷記述する)も爆雷攻撃損傷し避退した。 アメリカ軍アッツ島上陸速報により、連合艦隊内地回航中の戦艦大和」と空母2隻および巡洋艦部隊から4隻(妙高羽黒長波五月雨)を抽出して北方部隊増強し第二十四航空戦隊と第801海軍航空隊飛行艇6機)も北方部隊増強したつづいて内地所在機動部隊艦艇関東地方移動させ、北方情勢備えた連合艦隊は、アッツ島米軍艦隊正規空母4 - 5からなるものと評価した実際に護衛空母一隻)。 内地修理訓練行っていた第一航空戦隊瑞鶴翔鶴瑞鳳)、重巡洋艦3隻(最上熊野鈴谷)、軽巡洋艦2隻(阿賀野大淀)、駆逐艦複数隻(新月浜風、嵐、雪風秋雲夕雲風雲)等からなる艦隊横須賀集結した北方行動中と推定され米軍機部隊決戦挑むための処置である。 5月17日連合艦隊司令長官古賀峯一大将及び海軍甲事件死亡した山本五十六大将遺骨乗せた大和型戦艦武蔵と金剛型戦艦2隻(第三戦隊司令官栗田健男中将金剛榛名)、空母飛鷹」(第二航空戦隊)、第八戦隊利根筑摩)、駆逐艦5隻はトラック泊地出発東京湾むかった5月18日大本営アッツ島増援中止内定し連合艦隊司令部洋上でこの決定知った5月22日連合艦隊司令長官古賀峯一大将直率の艦隊東京湾到着し、「武蔵」(連合艦隊旗艦)は木更津沖に投錨した駆逐艦2隻(夕雲秋雲)は山本元帥遺骨東京へ送った。また連合艦隊参謀長宇垣纏中将から福留繁中将交代した。各艦隊司令部集合して検討した結果機動部隊東京湾出撃29日予定とし、北方全般情勢をみて出撃するか否か最終判断をくだすことになった幌筵では20日までに北方部隊第五艦隊所属艦および臨時編入艦)の各艦艇と、陸軍増援部隊乗せた輸送船団集結していた。北方部隊水上艦船航空部隊潜水部隊アッツ島方面敵艦隊に奇襲をしかけると共に、第1駆逐隊沼風神風)によるアッツ島緊急輸送計画していた。この時点での北方部隊は、重巡洋艦4隻(那智摩耶妙高羽黒)、軽巡洋艦3隻(木曾多摩阿武隈)、駆逐艦(響、五月雨長波、第9駆逐隊朝雲白雲薄雲〉、第21駆逐隊若葉初春〉)、水上機母艦君川丸」、潜水艦部隊等によって編成されていた。 5月21日大本営海軍部は大海指第247号により、アッツ島守備隊収容努力するよう第五艦隊対し指示した。だが第五艦隊出撃は度々延期され天皇第五艦隊出撃止め理由問いただすことになった北方部隊編入され第二十四航空戦隊の第一部隊(第752航空隊陸上攻撃機21機は、5月13日幌筵島進出完了したが、連日悪天候悩まされた。占守型海防艦国後石垣八丈)が陸攻隊の救難気象観測誘導のため配置された。5月23日天候回復する。第752航空隊陸攻19機(指揮官野中五郎大尉)はアッツ島方面対するはじめての航空攻撃敢行し、駆逐艦1隻撃沈等の戦果報告した(未帰還機1)。翌24日野中隊長指揮下の陸攻17機はアッツ島到達したが、のため目標視認できなかった。邀撃してきたP-38双発戦闘機交戦してP-38撃墜8(不確実2)を報じた陸攻3機(ほかに着陸大破1)をうしなった翌日使用可能機数は、陸攻30零戦12報告している。25日以降ふたたび天候悪化しその後航空攻撃機会得られなかった。キスカ島海軍守備隊第五十一根拠地隊司令官秋山勝三海軍少将)は、アッツ島守備隊激励ため水上機1回だけ派遣したという。 25日第一水雷戦隊中心とする艦隊敵艦隊への攻撃及び緊急輸送のため、アッツ島へ向け幌筵出撃した。編成以下の通り軽巡洋艦木曾」「阿武隈駆逐艦長波」「若葉」「初霜」「朝雲」「白雲」「薄雲」「沼風」「神風第五艦隊は米艦隊包囲網突破駆逐艦2隻(神風沼風)は5月28日陸軍部への通告では27日)にアッツ島到着し補給を行う予定であった27日アッツ島沖で荒天遭遇し一時待機となった5月28日第五艦隊参謀江本少佐アッツ島)は「漸次急迫シツツアリ 本日輸送ハ是非実行サレ度」と電報したが、第一水雷戦隊は既に作戦中止意向であった旧式駆逐艦の上大量物件搭載していた第1駆逐隊神風沼風)は悪天候の中で航行困難となり、命令により幌筵帰投した。5月29日朝、連合艦隊機動部隊出撃取りやめた同じくアッツ島沖の第一水雷戦隊30日0230「行動中止幌筵帰投ス」を発令し引き返した連合艦隊第五艦隊に「潜水艦ヲ以テ熱田残留者(報告者ノミニテモ可)収容手段ヲ講ゼラレタシ」と下令した。この命令により伊号第24潜水艦アッツ島向かった収容失敗し、同艦は6月11日撃沈された。江本少佐以下4名もアッツ島死亡した前述)。

※この「日本海軍の対応」の解説は、「アッツ島の戦い」の解説の一部です。
「日本海軍の対応」を含む「アッツ島の戦い」の記事については、「アッツ島の戦い」の概要を参照ください。

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