日本海軍の迎撃態勢
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「ギルバート諸島沖航空戦」の記事における「日本海軍の迎撃態勢」の解説
詳細は「Z作戦」を参照 これに対する日本軍も、連合国軍が中部太平洋方面で反攻作戦に出てくることを想定していた。日本の連合艦隊司令部は、千島列島から南鳥島(マーカス)、ウェーク島、ギルバート諸島など太平洋正面で連合国軍が反攻作戦に出てきた場合に備え、基地航空部隊と機動部隊、潜水艦などの全力を挙げて迎撃する計画を立て、「Z作戦」と命名していた。 ギルバート諸島方面の基地航空部隊としては、タラワ飛行場のほかクェゼリン環礁など周辺島嶼に、第22航空戦隊が配置された。1943年(昭和18年)9月18日-20日にギルバート諸島とナウルの各基地がアメリカ海軍機動部隊(「レキシントンⅡ」「プリンストン」「ベロー・ウッド」)の空襲を受けて、航空機13機以上が地上撃破されるなどの損害を受けたものの、同年11月1日の時点で戦闘機30機・陸上攻撃機(陸攻)40機・艦上爆撃機18機・水上機20機の計108機の兵力を擁していた。 上記の1943年9月18-20日にギルバート諸島などが空襲された際、第三艦隊(空母「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」等)基幹の日本艦隊はこのアメリカ海軍機動部隊の攻撃に向かったが会敵できず、9月25日にトラック泊地に帰投した。1943年10月中旬にも、大本営は、アメリカ軍の攻略部隊が襲来するおそれが強いとして、連合艦隊に迎撃を指示した。連合艦隊は10月17日に第三艦隊(空母「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」等)や戦艦「大和」「長門」からなる艦隊をマーシャル諸島方面へ出撃させたが、アメリカ艦隊は出現せずにまたも完全な空振りに終わり、26日にトラック泊地へ帰投した。これら二回の艦隊出動の結果、日本側の前進基地であるトラック泊地の重油備蓄は底をつき、大規模な艦隊活動は不可能な状態に陥ってしまった。おまけに巡洋艦部隊はラバウル空襲で大打撃を受け、空母の搭載機も「ろ号作戦」に使用したために消耗してしまった。日本側は、本来の「Z作戦」とは異なって機動部隊抜きで迎撃せざるを得ない態勢で、ギルバート諸島へのアメリカ軍襲来を迎えることになった。
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