日本海軍の米空母対策とは? わかりやすく解説

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日本海軍の米空母対策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:05 UTC 版)

「ドーリットル空襲」記事における「日本海軍の米空母対策」の解説

1930年昭和5年)の時点日本海軍は、アメリカ海軍保有するレキシントン級航空母艦レキシントンサラトガ)による東京空襲と、空母艦載機による爆撃毒ガスによる市民への被害指摘していた。空母による空襲のほかにも、米軍航空部隊ソ連領やアリューシャン列島基地進め陸上機により日本本土空襲を行う可能性もあった。1942年昭和17年2月下旬図上演習では、米軍ニア諸島セミチ島(アッツ島近辺)に基地建設し開発されたばかりの米超大型爆撃機による帝都空襲成功している。 また連合艦隊司令長官山本五十六大将は、昭和16年1月及川古志郎海軍大臣にあてた「戦備ニ関スル意見」の中で、日本本土空襲された場合国民動揺懸念していた。大本営海軍部(軍令部も本空襲懸念していたが、山本長官ほどの危機感はもっていなかった。いずれにせよ機動部隊による本土空襲(特に帝都空襲)を懸念していた日本海軍は、太平洋戦争開戦と共に日本列島東方700浬に特設監視艇による哨戒網を構築し基地航空隊陸上攻撃機による長距離索敵との相乗で、米機動部隊監視することにした。敵機部隊来襲場合、在内地艦船航空部隊をもって邀撃する方針である。ただし、監視艇哨戒機の数は不十分であった1941年昭和16年12月8日開戦時アメリカ海軍作戦行動可能な空母を7隻(真珠湾方面配備レキシントンエンタープライズ〉、西海岸および大西洋方面配備サラトガヨークタウンホーネットワスプレンジャー〉)保有していた。真珠湾攻撃日本海軍アメリカ太平洋艦隊戦艦群に大打撃与えたが、空母捕捉には失敗した大本営海軍部は「米海軍小部隊によるゲリラ戦に出るだろう」と判断しており、山本長官は「ゲリラ戦」が米空母部隊による本土空襲判断していたという。 開戦以後ハワイ方面監視従事していた日本海軍潜水艦部隊幾度か米空母発見するが、損害与えられなかった。1942年昭和17年1月初旬伊号第三潜水艦ハワイ近海米軍機部隊襲撃失敗)。同方面日本海軍潜水艦索敵したところ、1月12日伊号第六潜水艦が「レキシントン型1隻撃沈」を報告する実際戦果空母サラトガ大破で、同艦は半年ほど修理強いられた1月24日クェゼリン環礁帰投した伊六からの詳細報告により、連合艦隊レキシントン撃沈確信する連合艦隊は「当分、米機動部隊太平洋方面行動しないだろう」と判断警戒態勢緩めとともに南雲機動部隊第一航空艦隊)をラバウル攻略作戦南方作戦転用した。東方の情勢懸念をもっていた宇垣纏連合艦隊参謀長も、各艦隊・部隊意見押し切られた。 だが、アメリカ軍空母機動部隊1942年2月初旬マーシャル・ギルバート諸島機動空襲皮切りにウェーク島南鳥島など、日本軍警戒手薄な拠点牽制攻撃敢行した。日本海軍潜水艦陸上基地航空隊邀撃あるいは索敵攻撃おこなったが、米機動部隊補足できなかった。連合艦隊参謀長宇垣纏少将2月2日陣中日誌戦藻録』に「今回の事正に頂門の一針なり。開戦以来既に二ヶ月垂んとす。彼も亦無策終る筈なし。冒険性は彼の特徴なり。今や戦局南に西に火花を散らす時機に投じたりと謂ふべく実効果と合はせ牽制目的達したり。今後と雖も彼として最もやりよく旦効果的な本法執るべし。其の最大なるものを帝都空襲なりとす。」と記した宇垣少将3月11日12日日誌にも同様の懸念表し戦勝祝賀日の最中本土空襲があることを想定して其の結果思ふだに戦慄禁ずる能はず」と述べている。 2月8日連合艦隊通信量増大から「対米国艦隊第三法」を発動し横須賀に在泊中の空母翔鶴出動させた。第五航空戦隊第一艦隊戦艦により「警戒部隊」を編成米空母部隊捕捉撃滅命じたが異常はなく、2月15日第三解除至った3月10日連合艦隊通信情報から米機動部隊日本本土来襲すると判断対米国艦隊作戦第三法を発令した警戒部隊潜水艦部隊陸上基地航空隊出撃したものの米機動部隊出現せず、3月18日の「第三止メ」に至った1月下旬以降米軍機部隊関連する無線情報1月31日2月7日17日3月10日28日の五回であったが、適中したのは1月31日2月17日けだった。 以上のように、日本海軍米軍機部隊奇襲翻弄され有効な対策をとれなかった。真珠湾方面警戒厳しくて潜水艦による偵察ができなかった。東太平洋方面海軍航空兵力はトラック泊地方面第二十四航空戦隊(常用陸攻27飛行艇18戦闘機27)、関東地区木更津海軍航空隊横須賀海軍航空隊にすぎず、反撃はおろか哨戒すら満足にできなかった。連合艦隊受け身の不利を痛感し、敵空母おびき出し撃滅するという着想に至る。軍令部日本陸軍との折衝により二転三転したのち、連合艦隊5月上旬ポートモレスビー攻略1月下旬発令済み)、6月上旬ミッドウェー作戦実施7月上旬FS作戦10月目途ハワイ攻略作戦準備という計画練った4月5日大本営海軍部はミッドウェー攻略アリューシャン西部要地攻略作戦同意採用内定した日本陸軍は「この作戦ハワイ攻略前提ではないか」「アリューシャン作戦ソ連悪影響与えるのではないか」と疑っており、ミッドウェーおよびアリューシャン作戦陸軍部隊派遣拒否した4月16日永野修身軍令部総長長期自給戦略態勢確立戦争終末促進をはかる「第二作戦計画」について昭和天皇上奏裁可得た同日軍令部大海指第85号により連合艦隊山本五十六司令長官)と支那方面艦隊古賀峯一司令長官)に対し第二段作戦方針指示したミッドウェー作戦FS作戦フィジーサモア方面)、インド洋作戦ハワイ攻略準備について触れていたとみられる

※この「日本海軍の米空母対策」の解説は、「ドーリットル空襲」の解説の一部です。
「日本海軍の米空母対策」を含む「ドーリットル空襲」の記事については、「ドーリットル空襲」の概要を参照ください。

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