日本海軍への移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/02 14:28 UTC 版)
1930年(昭和5年)8月11日付で本船は朝鮮総督府から日本海軍に移管されて「光済」と改称、雑役船の一種である曳船兼交通船に類別された。鎮海要港部(1941年に警備府昇格)に所属し、朝鮮半島の鎮海要港部と日本本土の佐世保鎮守府の間の連絡任務に従事した。1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争の終戦時にも鎮海警備府の鎮海港務部に所属して健在であった。 太平洋戦争の終戦後、第二復員省の特別輸送艦に指定され、1947年(昭和22年)1月15日までには特別保管艦に変更された。救難船「栗橋」とともに旧軍港間の輸送任務などに従事したが、1947年5月14日に大阪港から横須賀港へ航行中、御前崎付近で座礁して全損となった。
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