日本の戦車開発史
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戦車が登場した第一次世界大戦当時の日本は、1915年(大正4年)時点で国内自動車保有台数がわずか897台という有様であったが、他の列強諸国同様に新兵器である戦車に早くから注目しており、ソンムの戦いの翌年である1917年(大正6年)には陸軍が調達に動き出している。1918年(大正7年)10月17日、欧州に滞在していた水谷吉蔵輜重兵大尉によって同盟国イギリスから購入されたMk.IV 雌型 戦車1輌が、教官役のイギリス人将兵5名とともに神戸港に入港した。 翌1919年(大正8年)に新兵器の発達に対処するために、陸軍科学研究所が創設され、以降1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて日本陸軍はルノー FT-17 軽戦車とマーク A ホイペット中戦車を試験的に購入して、研究している。当初は「戦車」と言う言葉が無く、「タンク」や「装甲車」と呼んでいたが、1922年(大正11年)頃に「戦う自動車から戦車と名付けては」と決まったようである。1923年 - 1924年(大正12 - 13年)頃には戦車無用論も議論されたが、1925年(大正14年)の宇垣軍縮による人員削減の代わりに、2個戦車隊が創設された。当時(大正後期)の日本の不況経済や工業力では戦車の国産化は困難と考えられたうえ、イギリスも自軍向けの生産を優先させていたため、陸軍ではそれらの代替としてルノーFTの大量調達が計画されていたが、陸軍技術本部所属で後に「日本戦車の父」とも呼ばれた原乙未生大尉(後に中将)が国産化を強く主張、輸入計画は中止され国産戦車開発が開始される事となった。 戦車開発は唯一軍用自動車を製作していた大阪砲兵工廠で行われることとなり、原を中心とする開発スタッフにより、独自のシーソーばね式サスペンションやディーゼルエンジン採用など独創性・先見性に富んだ技術開発が行われた。それらは民間にもフィードバックされて日本の自動車製造などの工業力発展にも寄与している。設計着手よりわずか1年9ヶ月という短期間で1927年2月には試製1号戦車をほぼ完成させ、試験でも陸軍の要求を満たす良好な結果が得られたことから、本格的な戦車の開発が認められた。 その後、八九式中戦車、九五式軽戦車 、九七式中戦車などの車輌が生産された。しかし、第二次世界大戦においては、日本は限りあるリソースを航空機や艦艇に割かざるを得ず、しかも、その間の欧州戦線での開発競争によって日本の戦車技術は陳腐化した。一方で、本土決戦用に温存されていた車輌とともに、原中将はじめ開発・運用要員の多くが幸いにも終戦まで生き延びていたことが、戦後の戦車開発に寄与することとなる。 戦後日本は非武装化されたが、共産主義勢力の台頭と朝鮮戦争の勃発により日本に自衛力の必要性が認められて警察予備隊(後の自衛隊)が組織され、アメリカより「特車」としてM4中戦車などが供給された。また朝鮮戦争中に破損した車輌の改修整備を請け負った事などで、新戦車開発・運用のためのノウハウが蓄積されていった。とはいえこれらアメリカ戦車がまもなく旧式化することは明らかであり、規格が日本人の体型にも合わないことも踏まえて、日本の国情に合わせた国産戦車の開発を目指すこととなった。 アメリカの支援などによって開発費の目処もつき、戦後初の国産戦車となった61式戦車が1961年(昭和36年)4月に制式採用された。この戦車は旧陸軍の設計思想を受け継いだこともあり、開発した時点では既に米ソや西ドイツの水準からは見ると陳腐なことは否めず、習作的意味合いが強いものであったが、続く74式戦車で世界水準にキャッチアップし、更にその後継の90式戦車で世界水準を一部上回ったといえる。 2000年代に開発された10式戦車は、全国的な配備を考慮して90式戦車よりも小型軽量化しつつ同等以上の性能を有しているとされ、特に射撃機能やネットワーク機能などベトロニクスの進歩による戦闘能力の向上が著しい。10式戦車は耐用期限到達に伴い減耗する74式戦車の代替更新として2010年度から調達が開始された。一方、2013年に25大綱と26中期防が閣議決定されたことで、今後、本州配備の戦車は廃止され、戦車は北海道と九州にのみ集約配備、本州には戦車とは異なる新たなタイプの車両の16式機動戦闘車のみが配備される。装輪戦車である16式機動戦闘車は、10式戦車と比して火力と防護力だけでなく戦術機動性(不整地突破能力)の面において劣るものの、逆に戦略機動性(舗装路での高速走行や輸送機・輸送艦での運搬による、長距離の移動能力)は優れており、74式戦車と同等の火力を戦場に素早く展開できる即応力を備えている。本州配備の74式戦車が担っていた役割の一つ、普通科部隊への射撃支援については、16式機動戦闘車が引き継ぐことになる。 防衛省では有人戦闘車両の無人砲塔化と、有人戦闘車両と無人戦闘車両の連携に関するベトロニクスシステムの技術研究が行われている。この研究は2020年度まで行われる。
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