試製一号戦車
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試製一号戦車(しせいいちごうせんしゃ)は、大日本帝国陸軍によって1927年(昭和2年)に開発された戦車。日本が独自に開発した初の戦車である。
注釈
- ^ 各国が採用を躊躇した理由の一つに、クリスティーが生産設備を持っていなかったという理由もある。採用する場合は、ソ連のように、各国独自に生産設備建設に莫大な初期投資をしなくてはならない。また日本の場合は、この時にはまだ、クリスティー式サスペンションを採用したM1928の登場前であったことも考慮しなくてはならないであろう。その後、日本にクリスティー式戦車の売り込みがあり、原 乙未生大尉が1932年(昭和7年)1月にアバディーン性能試験場で実車を視察したが、貧弱と評価した上、機械的トラブルもあり、購入には至らなかった。
- ^ 輸送船の補助クレーンでも積み卸しが出来るよう、砲塔及び銃塔など分解しえる部位を除いた重量16 tを超えないように設計する事が要求されていた[25]
出典
- ^ a b c d e f 佐山『機甲入門』571頁
- ^ a b c d 佐山『機甲入門』127頁
- ^ 佐山『機甲入門』125頁
- ^ a b c d e f g 佐山『機甲入門』570頁
- ^ a b 『日本陸軍の戦車』26頁
- ^ a b 『日本陸軍の戦車』16頁
- ^ 『日本陸軍の戦車』17頁
- ^ 第1戦車隊及歩兵学校戦車隊に兵器支給の件 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C03012099200、大日記乙輯大正14年(防衛省防衛研究所)
- ^ a b c 佐山『機甲入門』124頁
- ^ 『日本陸軍の戦車』20頁
- ^ 佐山『機甲入門』123頁
- ^ 『日本陸軍の戦車』21頁
- ^ 『陸軍機甲部隊』36頁
- ^ a b c d 『陸軍機甲部隊』37頁
- ^ 『日本陸軍の戦車』23頁
- ^ 偶然にも、翌1926年には、イギリスでも「16トン戦車」の開発が始まっている。
- ^ 『日本陸軍の戦車』21、22頁
- ^ a b 『日本陸軍の戦車』22頁
- ^ 原乙未生氏の回想によると、初めての戦車試作において、「その性能条件は戦闘能力を第一義として立案した。すなわち、豊富な火力装備を持ち、しかもいずれの方向に向かっても砲と銃の集中効果を発揮できるために、中央回転砲塔内に57ミリ戦車砲を、前部と後部にさらに回転銃塔をもうけて機関銃を持つ。すなわち、前面、後面には砲、銃各一、その他の方向には砲一、銃二の火力を集中することができる。この性能は陣内戦における戦車の孤立戦闘において独立性を有するものである」ことを念頭に設計を行ったとされる。
- ^ 佐山『機甲入門』126、127頁
- ^ 『第二次大戦の日本軍用車両』92頁
- ^ 『陸軍機甲部隊』81頁
- ^ a b c d 『日本陸軍の戦車』24頁
- ^ 『陸軍機甲部隊』38頁
- ^ 原乙未生『機械化兵器開発史』、72頁。
- 1 試製一号戦車とは
- 2 試製一号戦車の概要
- 3 設計
- 4 構造
- 5 試験
- 6 派生型
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