日本の手紙の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:58 UTC 版)
日本では古くは木簡を文字による通信伝達の手段として用いた。薄い細長い木の板に、墨をつけた筆で文字を記したものを離れたところに届けさせたものである。紙の製法はおそらく6 - 7世紀ごろ(曇徴以前)、紙自体はそれ以前より早く日本に入ってきていたが、木簡は依然として使われ続けた。 平安時代になると、紙漉きが各地で行われるようになり、都の平安貴族の間では木の板に代わって和紙に文字を書いて送ることが盛んに行われるようになった。こうして木簡から書簡へと通信伝達手段が移り変わっていくのであるが、屋外で用いる荷札や高札には耐久性などの理由もあって江戸時代になっても木の板が文字のキャンバスとして依然として用いられた。 江戸時代には経済取引の活性化と広範化や飛脚の普及により書簡のやりとりも多くなり、当事者の在所の遠近、初対面や既知などの間柄、内容などにより多様な書式・書札礼が存在し、それらの手本となる文例集も出現した。飛脚は近代以降の郵便制度と比較して費用も高額であったため、一般に書簡内容は案件をまとめて記されることが多い。 簡素な内容の場合は切紙などを用い封書を行わないウハ書や奥ウハ書の形態で送付され、長大な内容の書簡は継紙が用いられ、機密性の高いものは封書により送付される。書簡は飛脚などの配達運送業者を用いて送付されるが、経済的や儀礼上の理由で私的な使用人を用いて伝達されることもあった。 明治期には欧米に倣った郵便制度が導入され、はがきの普及などにより手紙がさらにさかんに使われるようになった。同時に電報も普及した。電話も普及したので、電話で済ませてしまうことも増えた。 昭和時代はさかんに手紙のやりとりがされた。親と子の間で、兄弟の間で、学生と恩師の間で、先輩と後輩の間で、男性と女性の間でなどと、人々はさかんに手紙のやりとりをしていた。 1985年の話だが、日本ではそれまで電電公社の指定の電話機しか使用できなかったが、この1985年になってはじめて、電話機を始めとする端末設備の接続が自由化され(端末の自由化)、まずは中小企業や商店などで急速にファクス(ファクシミリ)が普及し始め、その後1990年代あたりに一般家庭にFAXと電話機が一体化したものが普及した。 これにより、郵便を使わず、紙に手紙を書いてそれをファクシミリ装置に差し込んで電話番号を指定して電送するということが行われるようになった。 携帯電話は1980年代まで大きな弁当箱のようなサイズで全然普及していなかったが、1990年代半ばごろから小型化が進み、一般に普及するようになり、電話で済ませられることは済ませてしまうようになった。1995年ころにマイクロソフト社からWindows95が発表されてパソコンでインターネットに簡単に接続できる環境が得られるようになると、ようやく一般の人々の間で徐々に電子メールが普及するようになり、それにより紙の手紙が使われる頻度が少しづつ減ってゆくことになった。商社などそれまでテレックスやFAXでやりとりしていた企業間でも、e-mailで済ませるようになっていった。1990年代後半から2000年代前半にかけて、一般企業や中小企業でも、手紙を避けてe-mailのやりとりで済ませる傾向が生じた。 特に2010年代に世界各地でスマートフォンを個人が所有することが普及するにつれ、家族・友人間のほとんどの要件はSNSなどのメッセージで済ませてしまう、ということまで行われるようになり、手紙の削減にますます拍車がかかっている。とはいえ、(多くの国で)役所からの文書類は今でも旧態然と紙の文書が送られてきており、デジタル化が遅れがちであるし、契約関連の文書は今も封筒に入れてやりとりされることは多い。特に重要な手紙・文書などは内容証明郵便などの送達手段が用いられる。
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