日本の戦時石油事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 16:28 UTC 版)
大東亜戦争当時、日本は、円滑な戦争継続のために艦船(軍艦と民間船)や航空機などの燃料として、多量の石油を必要としていた。戦前の推計では海軍用250 - 300万トン、民需用250万トン、陸軍用60万トンの戦時石油需要があった。国内の油田や人造石油の生産だけでは到底足りず、戦前の石油備蓄を取り崩す一方、南方作戦で占領したオランダ領東インドや英領ボルネオからの石油輸入が重要となった。日本本土への輸送量は、毎年300万トン以上が必要と算定されていた。 南方作戦での資源地帯確保は極めて順調で、危惧された油田設備の破壊も少なかったにもかかわらず、その後の占領地からの輸送(当時の用語で「還送」)はあまり順調ではなかった。その大きな原因はタンカーの不足にあった。開戦時に日本が保有したタンカー船腹は、合計で47万総トンあった。しかし、長距離輸送に適した大型タンカーの多くは、建造時からの計画通りに日本海軍の補給艦として徴用されてしまい、日本本土への石油輸送には使えない状態だった。その結果、本土への輸送に使える大型タンカーは10万総トン未満にすぎなかった。中型以下のタンカーを合わせても、南方からの石油輸送に使えるタンカー船腹は20万総トンを割り込んでいたのである。不足を補うために戦時標準船としてのタンカー建造も行われてはいたが、1943年(昭和18年)に入って少しずつ竣工しはじめる程度のペースで、あとは貨物船改造の応急タンカーがいくらか期待できるだけだった。 ヒ船団の運航が始まった1943(昭和18)年度には、360万トンの石油輸入が必要と計算されていた。しかし、輸入実績は1943年(昭和18年)末の段階で185万トンにとどまっていた。
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