数々の不運と不遇エピソードとは? わかりやすく解説

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数々の不運と不遇・エピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:23 UTC 版)

ファン・マヌエル・マルケス」の記事における「数々の不運と不遇・エピソード」の解説

攻防兼備スタイルありながら真正面からの壮絶な打ち合いをした上でKO勝利を連発するなど、数々名勝負繰り広げボクシング歴史に残る名ボクサーとして人気実力兼ね備えたスター選手ありながらプロデビュー前から続く多く不運不遇な扱い受けていることでも知られている。 前述通りプロデビュー直前オレンジ取ろう木に登った際に落下して背骨重傷負ってプロデビュー2年遅れたのを筆頭に、プロデビュー戦では初回3度ダウンを奪うが、2回開始時に反則負け。この時の対戦相手がコミッション・ドクターのお抱え選手であったため、露骨な贔屓判定によって黒星付けられてしまった。トレーナーマネージャーイグナシオ・ベリスタインは「事前にそのこと調査していなかった我々のミスだ」と後に反省している。 この1件によってメキシコ国内では目をつけられてしまい、プロ2戦目で8回戦経験者、4戦目で14全勝KO相手という過酷な試合を戦うはめになったが、それぞれ対戦相手の顎を割って逆に引退させるなど逆境ものともしない強さ発揮世界王座初挑戦実現させるべく、アメリカ・フォーラム社とプロモート契約を結ぶが、世界ランク1位となった頃に同社閉幕するという憂き目遭った。こういった経緯もあり、マルケスWBO世界フェザー級1位として22ヶ月連続WBO世界フェザー級王者ナジーム・ハメド指名挑戦者として君臨していたが、WBOハメドマルケス以外の相手と戦うことを許可し続けたため、挑戦することができなかった。 ようやく実現した世界王座初挑戦においても、WBA世界フェザー級王者フレディー・ノーウッドから実質2度ダウン奪ったにも関わらずレフェリーダウンとらないという不運に遭い王座獲得ならず。 2000年〜2002年の間はKO勝ちを連発して破竹快進撃続けて主要4団体のうち3団体世界ランク1位の指名挑戦者になるなどフェザー級最強呼び声も高い実績作ったが、長い間世界王座挑戦できなかった。そのためマルケスは「The best fighter without a world title無冠の帝王)」と呼ばれるようになった。 さらに、王者となって以降2004年5月8日マニー・パッキャオ対戦し1ラウンド3度ダウン奪われるが、その後猛反撃して壮絶な激闘の末に三者三様引き分けでの防衛成功。なお、1ラウンド目に3度目ダウン奪われた際にパッキャオ追撃浴びせる反則行為行った。この反則について、両陣営が共にテレビ出演した際にパッキャオは「マルケス右手ロープ掴んでいたので、サウスポー構えの私の角度からはマルケス左手キャンバス着いているのが見えなかったため、まだダウンしていないと思って追撃してしまった。それに戦っている最中なので本能的に追撃してしまった面もある」と語った。なお、マルケスは「たしかに反則だが、あれは卑怯だとは思わない一連の流れの中でパッキャオパッション爆発してしまったので仕方ないと言って非難せずに潔く認めている。この反則打を受けたマルケス立ち上がってファイティング・ポーズ取って試合続行意思表示をした後、レフェリーマルケスに「反則ダメージ回復するまで休んでいい」と指示したが、中島利光を除くマルケスセコンド陣とマルケス本人が英語の指示理解できず、ダメージ回復しないうちに即続行となってしまう不運に起きた。 この試合名勝負であった故に当然、再戦期待された。しかし、再戦のための交渉挑戦者パッキャオには100万ドル上のファイトマネー提示されたのに対して王者マルケスには75ドルファイトマネー提示された。マルケストレーナーマネージャー務めイグナシオ・ベリスタインが「安すぎる!苦労して手に入れた世界王座安売りできない!あくまでこちらが王者なのだから敬意を払うべきだ!」とオファー拒否その後パッキャオエリック・モラレスとの対戦での100万ドル獲得モラレスとの再戦では200ドル以上と巨額ファイトマネー稼いだに対してその後行われたマルケス2度防衛戦でのファイトマネーは2試合合わせてパッキャオとの再戦提示額の半分にも満たなかった。 さらにマルケス兄弟は有力プロモータートップランクの傘下加わったにもかかわらずパッキャオとの再戦拒否した制裁を受けるかのように、ビッグマッチの実現に非協力姿勢取られたり、マルケス兄弟防衛戦大々的宣伝拒否されるなど不遇な扱いを受け続けた。 さらにIBF指名戦を成立させるプロモーター現れなかったため、プロモーターであるはずのトップランク見殺しにされた形でIBF王座剥奪され同時にWBAスーパー王座タイトル剥奪される憂き目遭った。 なおも不運続き世界タイトル奪回目指しクリス・ジョンとのWBA世界フェザー級王座戦は、プロモート権利入札によって決められることになったが、この入札トップランク参加しようともしなかった。そのため、本来なら75ドル以上を稼いでいるはずのスーパースターマルケスが、インドネシアボルネオ島ジャングルでわずか3ドルファイトマネーで戦わされることになった。しかも、この試合ではマルケスの普通のボディブローレフェリーローブロー判定するなど地元ジョン露骨に贔屓し結果地元判定と言うべき不可解な判定によってマルケス敗れてしまった。 また、2008年実現したパッキャオとの再戦では1戦目を上回る僅差名勝負となり、1-2判定負け王座から陥落パッキャオ支持した二人ジャッジのうちの一人採点は113-114とわずか1ポイント差だった。マルケス試合直後から即座にパッキャオとのラバーマッチ要求しマルケスプロモーターであるゴールデン・ボーイ・プロモーションズCEOリチャード・シェファーがパッキャオ600ドルファイトマネー保証して交渉したパッキャオ拒否されるなど、ここでも不運に泣かされている。 ジョン戦後は、世界タイトル奪回し3階級制覇達成するなど、人気実力ともに上昇一途をたどるマルケスだが、マルケス引き分けたパッキャオマルケス敗北したマルコ・アントニオ・バレラらが数億円という巨額ファイトマネー稼いでいるのに対してマルケスファイトマネーあいかわらず5千万前後に留まっていた。 2009年9月19日現役復帰するフロイド・メイウェザー・ジュニア144ポンド契約対戦することとなるが、144ポンドという契約両者間のプライベート契約であるため、メイウェザーは144ポンド超過してウェルター級以下までの体重であれば1ポンドにつき30ドル違約金を払うだけで失格はならず試合成立した。そのため、144ポンド減量したメイウェザーを想定して練習してきたマルケス対し、「違約金支払って減量せずに万全体調整えることを優先してメイウェザーは最初から減量努力をしようとしなかったので、同階級試合として成立していない」という批判の声がある。また、マルケススーパーライト級上の階級への挑戦はこの試合が初であったため動き鈍く減量疲れの無いメイウェザーに圧倒される場面もあった。 これらの事実があるため、マルケスマネージャーイグナシオ・ベリスタインは「トレーナーとしては超優秀、でもマネージャーとして無能」と多くメディアから言われており、「他の多くボクサーたちがマルケス兄弟よりも金を稼いでいる。実力が彼らの半分にも満たないというのに」と暗にベリスタインを批判する記事見られる事実2008年オスカー・デ・ラ・ホーヤがベリスタインとトレーナー契約結んだ際には「マネージメントに関して一切口出しをしない事」を契約条項入れたほどである)。 しかし、こうした逆風さらされてもマルケス兄弟は「ベリスタインは私達ファミリー一人だ」と言ってはばからず、ベリスタインとの契約続けており、彼らの絆の深さ人柄良さ現れている。(ただし、ラファエルイスラエル・バスケスとの第3戦を最後にベリスタインと袂を分かっている<※ただし、後任ダニエル・サラゴサはベリスタインの直弟子で現在も友好関係である>) 2011年11月マニー・パッキャオとの3度目対戦では、上述のように結果0-2僅差判定負けであったものの、またしてもマルケス勝っていた」との声も非常に多いマルケスは「パッキャオとの3度対戦は私の全勝だと思うが、なかでも第3戦は完璧に私の勝ちだ。自分パフォーマンスには満足しているが、ジャッジ考えを変えるためにこれ以上どうすれば良いのかわからない。たとえパッキャオダウンさせたって、彼らは立たせてまた戦わせるんじゃないだろうか」と判定への不満を露わにし、パッキャオとの第4戦はマルケス母国メキシコでの開催希望していたが、結局第4戦もラスベガス行われることとなった。 なお、マルケス自身これまでのプロ戦績について、「私は公式記録上では6敗1分があるが、私が本当に負けた認めるのはメイウェザー戦の1敗のみで、他は全て不当な判定によって私の勝利盗まれた」と語っている。 兄弟試合を見ることに関して、弟のラファエルは「兄の試合エキサイティングだから見ていて楽しいし、いつでも勝ってほしいと願っている」と答えているのに対して、兄ファン・マヌエルは「大事な弟の身体打たれていて怪我だってするかもしれない考えたら、怖くて心臓に悪いから出来るだけ見たくない」と答えている(兄に比べ、弟ラファエルは無理な体勢からでも打ちに行く攻撃的なスタイルのため、逆に打たれるということも多い)。

※この「数々の不運と不遇・エピソード」の解説は、「ファン・マヌエル・マルケス」の解説の一部です。
「数々の不運と不遇・エピソード」を含む「ファン・マヌエル・マルケス」の記事については、「ファン・マヌエル・マルケス」の概要を参照ください。

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