数々の問題点を露呈した大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/11 08:42 UTC 版)
「ツール・ド・フランス1929」の記事における「数々の問題点を露呈した大会」の解説
第10ステージはピレネー越えのステージであったが、総合2位のモリス・デヴァーレに9分54秒の差をつけていたヴィクトール・フォンタンがクラッシュに遭遇。マイヨ・ジョーヌは引き裂かれた状態となり、また、ホイールは大破してしまった。 ところが当時、使用している自転車をスタートからゴールまで使用しなければならないというルールがあったため、フォンタンは民家を探し回り、ゴールまであと145kmという地点でやっと探し当てたものの、結局タイムオーバーのためゴールできなかった。フォンタンは泣きながら今大会を後にしたという。 また、今大会までのツール・ド・フランスといえば、現在のように、チームに所属していなければ出場することができないといったものではなく、いわゆる個人参加も認められていたため、チーム単位で出場している選手とそうでない選手との間にはあらゆる面において格差が生じることになり、ひいてはレースそのものの妙味が薄れているという問題点も露呈。翌1930年のツール・ド・フランスより、国・地域別対抗戦形式に改められ、チームエントリーされていない選手は出場できないというルールに改正された。 よって、今大会までのツール・ド・フランスと、翌年以降のツール・ド・フランスでは、レースの中身そのものが大きく変化することになった。
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