数々の放言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:41 UTC 版)
宏池会の政治家として酒豪ないし酒乱の逸話が存在する。宮澤の死後、長女・啓子は、文藝春秋に掲載された随筆の中で、「皆さんご存知のとおり、父は酒乱でした」と書いている。 大平正芳が総理に就任した頃、宮澤は酔った勢いで「大平君が総理・総裁とは滑稽だ」と言い放ち、これを伝え聞いた大平は宮澤と口を利かなくなった。2人は元同僚で池田勇人の秘書官時代からの仲だったが、宮澤は池田の盟友で東大の先輩である前尾繁三郎や黒金泰美に近く、大平が前尾が継承した宏池会を実力で奪い取った経緯があることから、微妙な関係にあった。秘書官時代も大平が渉外を担当し、政策を宮沢が主に担当していたことや、東大卒の宮沢が、苦学して東京商科大学(現・一橋大学)を卒業後に大蔵官僚となっていた大平を軽視していたという説もある。大平の方が宮澤よりも9歳年上で、派内の人望も大平が勝り、池田も宮澤以上に大平を好んだといわれる。宮澤が大平に時折みせた屈折した優越感は、そうした政界における劣等感の裏返しでもあった。 海部俊樹が首相在任中には、「海部さんは一所懸命おやりになっておられるけど、何しろ高校野球のピッチャーですからねぇ」と発言し、この発言を伝え聞いた海部はいたく立腹したという。 田村元には「酒を飲んだ時の宮澤なら十年早く政権取れていた」と言われたことがある。 「人に会うと学歴を聞く」などと言われ、出身大学にまつわる放言も多かった。東京農学校(東京農業大学の前身)出身の金丸信について「偉い方ですよ。大学を出ているんですね。知ってました?」と皮肉を言い、竹下登については「あの方、県議出身でしょう。あのころ早稲田は無試験でした。僕の義父(伊地知純正)が商学部の部長でしたから嘘ではありません」などと酒席で語ったのを田勢康弘が伝えている。学歴に拘るのは宮澤家が代々田舎の貧農だったこともあり、また母方の小川家も名門と呼べる程でも無かった為、名家出身が多い政治家・官僚・新聞記者のように家柄の自慢が出来なかった為ではないかと思われる。 また、金丸に対しては、1991年の総裁選を控え、経世会の支持が死活的に重要だった時期にも関わらず、面会すると第一声、「金丸先生は農大を出ていらっしゃる。そいつはお出来になりますなあ」と言い放ったという。金丸がいい気分であったはずがないが、「まあ表門から入って裏門から出たようなもんですがね」ととぼけ、悩んだ末に「国民の声」を考え、総裁選では宮沢を支持した。竹下もまた、無試験のネタを直接宮澤に言われたこともあり、「あれは許せない」と怒っていたという。 番記者にも出身大学を訊き、東京大学卒でも法学部卒ではない場合、「ほう、近頃じゃあ法学部じゃなくても東大って言うんですか」などと嫌味を言い、その後、マス・メディア各社の間で、宮澤の番記者を東京大学法学部の卒業者にする動きが見られた。 宮澤政権下では学歴に関する宮澤の過去の言動が批判され、大蔵省キャリア新卒採用者に占める東大学生の上限を全体の半数程度とすることとなった。
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