反対運動とその評価
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「ダム建設の是非」の記事における「反対運動とその評価」の解説
ダム建設に対する反対運動は古くから存在していたが、以前は河川開発への重要性が最優先であったため、仮に住民側からも強硬な反対があったとしても最終的には不利な補償内容であったとしても妥協せざるを得ず、公共事業の実施において住民の意思などは省みられなかった。一例として1953年(昭和28年)に完成した岩手県の石淵ダム(胆沢川)があり、事業者である内務省の高圧的・強権的な水没住民への態度と二束三文の補償金支払い、そして完成式典に住民を招かなかった報恩意識の欠如という住民軽視の補償交渉が行われた。この件については1963年(昭和38年)に科学技術庁資源局が発行した『石淵貯水池の水没補償に関する実態調査報告』においても批判されているが、『日本の多目的ダム 1963年版』の石淵ダムの項目では「関係者一同少なからず苦心した」の文言で片付けられている。こうした事業者の姿勢と日本国憲法発布以降における国民の権利意識の向上もあり、次第にダム建設に対する反対運動が活発化していく。 世間にダム反対運動がクローズアップされたのは、1954年(昭和29年)の「田子倉ダム補償事件」からである。これは当時電源開発が只見特定地域総合開発計画の一環として計画していた田子倉ダムに対し、水没住民が激しい反対運動を展開。これを解決すべく大竹作摩福島県知事の斡旋によって当時としては極めて異例な高額の補償金支払いに応じると会社側が発表した事件である。最終的には河川行政を所管する建設省(現・国土交通省)・電力行政を所管する通商産業省(現・経済産業省)等が反発し、結局は当時の相場に応じた補償金支払いで妥結したが、この事件を契機に各地のダム反対運動がこの影響を受け、補償金吊上げを狙って反対運動を激化させるという現象が起こった。その後も事業者は開発優先の姿勢を崩さず、「円満解決」と表現しながらも土地収用法による強制収用等の半ば横暴な手法が行われていたケースもあった。 これに風穴を開けたのが、筑後川水系の松原ダム・下筌ダム建設事業で起こった蜂の巣城紛争である。公共事業と基本的人権の整合性を問うた室原知幸の活動は水源地域対策特別措置法をはじめとして従来、目が向けられなかった水没地域の福利厚生・地域振興を推進する契機となり「住民の同意がない限り、ダム建設は着工されない」という不文律を形成した。漁業権の観点からは強制収用から共生への方向転換がなされ、ノリ養殖に絡む筑後大堰と福岡県・佐賀県の有明海漁業協同組合連合の攻防は、ノリ養殖保護のために筑後川本流のダム連携放流による品質維持という漁連と国の協力態勢構築に繋がった。宮城県気仙沼市に計画されていた新月ダム(大川)は、カキ養殖を生業とする漁業関係者の反対によってダム計画自体が中止されるに至った。さらに北海道の二風谷ダム(沙流川)では、ダム建設に反対する萱野茂らがアイヌ民族の先住性を二風谷ダム建設差し止め訴訟で訴え、札幌地方裁判所の判決でダム建設差し止めは棄却されたが、アイヌ民族の先住性が認められた。ダム建設反対運動が契機となって北海道旧土人保護法が廃止、アイヌ文化振興法が制定され、アイヌにとっては「先住認定」が国によってなされるという歴史的転機がもたらされた。 近年では公共事業見直しの風潮の中、長野県の田中康夫知事(当時)による「脱ダム宣言」をはじめ、川辺川ダム反対運動等、ダム建設反対活動の勢いは衰えていない。特に徳島県那賀郡木頭村(現・那賀町)に建設省四国地方建設局が計画していた「細川内ダム」(那賀川)は、当時の木頭村長・藤田恵を中心に村全体がダム建設反対運動を展開。20年以上かけて国・県と対峙した結果、1996年(平成7年)に事業計画を事実上中止に追い込んだ(正式な事業中止は2000年)。これを契機に日本各地のダム事業が相次いで中止となるなど、影響力は大きかった(中止されたダムの詳細については中止したダム事業を参照)。こうしたダム反対運動が日本の河川行政の不備を指摘したのは事実であり、そうした流れは漫然とした公共事業継続による歳出超過を削減するという観点で第1次小泉内閣の『骨太の方針』における公共事業総点検へと繋がり、100箇所以上のダム事業凍結・中止へと結実した。 また「尾瀬原ダム計画反対運動」が契機となった日本の自然保護運動は日本自然保護協会の結成や環境影響評価法の制定に結実し、環境保護の観点において大規模公共事業と自然保護の整合性を図る重要な法律となって、“公共事業=環境破壊”の構図を修正する転機となった。こうした観点から大規模公共事業の中止が相次いでなされ「宍道湖・中海干拓事業」の中止や「千歳川放水路建設事業」の中止等に結実した。ダム建設も同様で現在は事業者・水源地域・受益者を含む下流関係者の三者による、治水・利水・産業・環境・補償等の総合的な合意が得られることが建設への必須事項となった。住民の意向を軽視し、開発最優先だった高度経済成長期までと比べれば、「住民参加型」という意味では相当改善された。反面、このことがダム建設の長期化を招いたのも事実であり、事業長期化による負担増に耐えられなくなった地方自治体が計画が遅々として進まないダム事業への参加を離脱する動きが首都圏・京阪神において拡大した(長期化しているダムの詳細については日本の長期化ダム事業を参照)。これにより戸倉ダム(片品川)等のダム建設が中止に追い込まれているが、過剰な事業費支出による財政圧迫と下流住民の負担増を考慮した場合、漫然とした歳出抑制を行う観点で改善した事象といえる。 これに加えて、ダムを含む大規模公共事業に絡む行政側と業者間の不透明な関係もダム事業に対する批判を強めた。福島県の木戸ダム(木戸川)における建設業者から県知事関係者への不当なリベートはその後贈収賄事件に発展し、2006年(平成18年)には当時の佐藤栄佐久知事が逮捕されている。また、いわゆる談合がダム事業の中で行われたことも、ダム水門落札に絡む水門業者の談合事件(2006年)など繰り返し発覚している。ただしこれらはダムだけに限ったことではなく、日本の悪しき商慣習に根ざした構造的な問題との指摘があり、「談合決別宣言」を行った裏で談合を繰り返した名古屋市営地下鉄工事談合事件など公共事業全般に及ぶ病理でもある。
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