反対運動と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:39 UTC 版)
思春期の少女にとって、足の付け根まで露出し、「体形が丸見え」「下着同然」「パンツがはみ出る」密着型ブルマーは不評であった。1987年、名古屋西高校で女子生徒の体操着として新たにブルマーを導入したところ、生徒による反対運動が起こった。1988年、朝日新聞で女子中高生がブルマーに反対する投書が掲載された。 1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事でブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーを窃盗し逮捕されるなど不審者による事件が相次ぎ、社会問題として取り上げられるようになっていった。 1993年11月22日付朝日新聞はシンガポール日本人学校中等部でのブルマー統一問題を報じている。新任の保健体育教師がそれまで自由だった体操着を日本のブルマーに統一し、それ以外の体操着着用を禁止したところ、生徒から「太ももの上部まで見え、校外マラソンの際、通行人にじっと見られる」との苦情が寄せられた。この記事に対し、学校側の姿勢に批判的な投書があいつぎ、他紙でもブルマーの問題を取り上げるようになる。 1989年に新語・流行語大賞にもなったセクハラの概念も後押しとなり、密着型ブルマーはハーフパンツやジャージに移行していき、教育現場から一部を除いてほぼ使用されなくなった。東京女子体育大学・掛水通子教授によると、一気に消滅したのは1992年以降としている。
※この「反対運動と衰退」の解説は、「ブルマー」の解説の一部です。
「反対運動と衰退」を含む「ブルマー」の記事については、「ブルマー」の概要を参照ください。
- 反対運動と衰退のページへのリンク