反対運動の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 03:20 UTC 版)
「クダンクラム原子力発電所」の記事における「反対運動の経緯」の解説
計画当初から反対運動は行われていたが、2001年に地元出身の元大学教授ウダヤ・クマール氏らによるNGO団体、PMANE(People's Movement Against Nuclear Energy)が設立されることにより更に活性化した。特に2011年の福島第一原子力発電所事故以降に1号機が試験運転を行ったことでより多くの住民が運動に参加した。8月以降連日1万人以上が参加し、津波と地震に対する安全性評価や、環境影響評価の開示などを求めて、集会、デモ行進、女性たちの道路封鎖、無期限ハンストなどが行われた。9月22日、ジャヤラリター州首相は「住民の合意があるまで稼働させない」と表明し、シン首相に原発稼働断念を求めた。 しかし、2012年3月19日州首相は方向転換を発表し、稼働を許可、原発周辺地域を武装警官隊で封鎖し、物資の搬入を禁止、メディアの報道規制も行われた上、PMANE幹部への逮捕状を出した。23日にはデモなどを行った住民665人が逮捕された。その後、高等裁判所が「封鎖解除、物資搬入許可」の緊急判決を下し封鎖は解除されたが、抗議行動は続けられた。 2012年6月初めには国外からも22カ国175団体(一次集約21カ国168団体)の賛同による「インド・クダンクラム原発に反対する人々への弾圧に対する抗議声明」がインド政府、タミル・ナードゥ州政府、インド原子力発電公社に提出された。 2012年9月10日には約1,000人が参加したデモ隊に警官隊が発砲、1人が死亡、9月16日には約200人が警察に拘束されるなど弾圧が強まる中、原子炉に核燃料を入れる作業が9月19日から始まったと報じられた。2012年9月25日には連帯の思いを伝えるため訪問した日本人3人が、入国を拒否され強制退去させられている。
※この「反対運動の経緯」の解説は、「クダンクラム原子力発電所」の解説の一部です。
「反対運動の経緯」を含む「クダンクラム原子力発電所」の記事については、「クダンクラム原子力発電所」の概要を参照ください。
反対運動の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)
「東北・上越新幹線反対運動」の記事における「反対運動の経緯」の解説
赤羽台トンネルの建設反対運動については「赤羽台トンネル#反対運動」を参照 本節では、当時の沿線自治体や住民の反対運動の経緯を建設計画時から、1985年(昭和60年)3月14日の上野駅 - 大宮駅間延伸開業までおよびそれ以降についても記述する。
※この「反対運動の経緯」の解説は、「東北・上越新幹線反対運動」の解説の一部です。
「反対運動の経緯」を含む「東北・上越新幹線反対運動」の記事については、「東北・上越新幹線反対運動」の概要を参照ください。
- 反対運動の経緯のページへのリンク