反対運動の過激化と国民の乖離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:35 UTC 版)
「成田国際空港」の記事における「反対運動の過激化と国民の乖離」の解説
1978年5月5日、京成電鉄が開港後の空港連絡列車「スカイライナー」に投入するため新製し、車庫に留置されていた京成電鉄AE車を放火し、4両を全半焼させるという京成スカイライナー放火事件を引き起こした。また、5月19日にも京成本線5か所で同時多発列車妨害事件を引き起こした。 京成電鉄を筆頭に、地元の列車内では反対派が事実上占拠しており、車内では竹槍をかざしながら対立組織に対する「検問」が日常茶飯事に行われていた。地元住民の生活の足である『京成電鉄へのテロ行為』は、もはや空港反対運動の枠を超えた、地域の社会基盤そのものへの破壊活動であり、空港周辺部以外の京成線沿線の住民からの反対派への白眼視を招いたのみならず、この頃始まった新左翼そのものの衰退や、当初の目的である開港阻止が叶わなかったことで『成田空港粉砕』を唱え、より先鋭化の傾向を見せる反対派に対して、国民感情は加速度的に乖離していった。 さらに、予定日の4日前に起きた成田空港管制塔占拠事件で空港の管制設備が破壊されたことで開港はさらに延期され、実際の開港日は同年5月20日となった。この事態を受けて、成田開港に意欲的に取り組んでいた福田内閣は「この暴挙が、単なる住民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、衆参両院では「過激派集団の空港諸施設に対する破壊行動は、明らかに法治国家への挑戦であり、平和と民主主義の名において許し得ざる暴挙である」とする決議が与野党賛成のもとで可決された。「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」が制定され、これを契機に千葉県警察本部警備部に空港の安全確保を目的とする「新東京国際空港警備隊」(現・千葉県警察成田国際空港警備隊)が同年7月に発足している。 この様な管制塔占拠事件も含めて、空港反対派と新左翼は同列視されるようになり、大半の国民が反対運動そのものを「特異な思想を持った限られた人間による反社会的テロ行為」として捉えるようになっていった。また、政府の断固たる姿勢と開港、運用の開始、そのために空港とその周辺地域に敷かれた厳重な警備態勢は、反対派の存在を多くの国民から有名無実化させていった
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