管制塔占拠事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 10:15 UTC 版)
詳細は「成田空港管制塔占拠事件」を参照 1978年(昭和53年)3月26日、開港直前になって日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)(第四インター)派を主力とするゲリラが、新東京国際空港の管制塔に進入し、管制塔内の機器を破壊した。また、空港の各所から、反対派農民を支援する新左翼党派活動家約300人が乱入する「騒乱状態」となる(成田空港管制塔占拠事件)。このため、開港が3月30日から5月20日に延期となった。 この事件で面子を潰された政府は、「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取り締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定したほか、国会においても「新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法」(現・成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法)が議員立法により成立した。 反対同盟は開港後も「百日戦闘宣言」を発しており、諸施設へのゲリラや滑走路の延長線上にアドバルーンを上げたりタイヤを燃やして黒煙で発着妨害が続いたため、警察は厳重な警備を敷いた。 また、管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保を目的とした千葉県警察警備部に専従の機動隊「新東京国際空港警備隊」(現・千葉県警察成田国際空港警備隊)が開港後の7月18日に発足した。
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