構造改革派の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:52 UTC 版)
日本共産党における構造改革派は1950年代から、党内の反独占派や志賀義雄などの親ソ派の一部として活動していたが、1961年の党綱領決定後、党内から排除された。以後、構造改革派系の党派が組織されるようになり、日本のこえ・共産主義労働者党・統一社会主義同盟(フロント)・統一共産同盟などが結成された。これら構造改革派系諸派は他の新左翼諸党派と同様、全学連や全共闘運動に加入していたが、1967年10月からは構造改革派系学生組織による独自の連合体を目指し「平和と社会主義、反帝、反独占」のスローガンの下「全国自治会共同闘争会議(自治会共闘)」が結成され、構改派による全学連とも言える活動体をなしていた。これら構造改革派は新左翼党派としては戦術において非ラジカル的(デモ・座り込み等)と見なされており、他の諸党派から「構改(後悔)先に立たず」と揶揄されていたが、1970年の安保闘争以後からは多くの新左翼党派と同様に過激化していった。(成田空港管制塔占拠事件など)
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