管制塔占拠事件そして「開港」
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「三里塚芝山連合空港反対同盟」の記事における「管制塔占拠事件そして「開港」」の解説
新東京国際空港は滑走路は1本のみとなるものの一期工事が進展し、1978年3月30日を開港日と設定した。 同年3月1日、「反対同盟」は「3月開港阻止決戦突入」を宣言する。同年3月26日に成田空港管制塔占拠事件が起こり、通信機器が壊され、活動家らが多数逮捕される。 同年4月に日本経営者団体連盟(日経連)会長の櫻田武、日本商工会議所会頭の五島昇、参議院議員の秦野章、「反対同盟」代表の戸村一作が会談する。ここでは同年5月20日に設定されていた開港予定日を一年先送りすることと、その間「休戦」とすることについて政府に申し入れることで条件を一致させたものの、同年5月10日に戸村と福永健司運輸大臣の会談がなされたが、話し合いは平行線をたどり、新東京国際空港は結局再度設定された予定日である同年5月20日に開港した。 なお、開港の翌年である1979年11月2日に戸村一作が死去し、北原鉱治が次の代表となる。
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