田子倉ダム補償事件とは? わかりやすく解説

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田子倉ダム補償事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:32 UTC 版)

田子倉ダム」の記事における「田子倉ダム補償事件」の解説

田子倉ダム1949年昭和24年6月より地質調査入ったが、その前年1948年昭和23年)に、伊北小学校において只見川電源開発説明会が、当時の事業主体であった日本発送電によって実施された。ダムによって水没する田子倉集落山間部僻地ではあったが、マタギの里であり、林業等が盛んだったこともあり生活水準は他の山村比べ遥かに高く電話加入していた世帯も数軒あった。このため水没する田子倉集落50290人の住民ダム建設対し激し反対運動繰り広げ事業計画はたちまち膠着状態に陥った交渉一向に進展せぬまま5年流れ打開策求めた住民は、1953年昭和28年6月27日福島県知事大竹作摩問題解決のための陳情行った。これを受けて知事補償に関する斡旋案を呈示事業主体となっていた電開発斡旋案の受け入れ迫った早期事業進捗願っていた電開発はこの斡旋案を受け入れたが、この斡旋案に呈示され補償金額を巡って大きな社会問題となった。これを田子倉ダム補償事件と呼ぶ。 問題となった補償金額は当時一般的な相場比べて明らかに高額なものであった具体的な金額不明だが、参考までに奥只見ダム補償額を例示すると1軒当り300万円 - 700万円。これは当時建売住宅1軒の分譲価格100万程度であったことを考えると極めて高額であり、田子倉ダムにおいても同様の条件であった推察される。ところが、この斡旋案に対し電力行政管掌する通商産業省(現・経済産業省公益事業局と河川行政管掌する建設省現・国交通省河川局猛烈に反対した。理由余りにも高額な補償金額で妥結してしまうと、今後計画・施工される公共事業事業進捗著し影響を及ぼすというものであった当時は「河川総合開発事業」による多目的ダム建設全国的に展開されていたこともあり、他のダム事業での補償交渉差し支えることを極度に恐れたのが本音である。事実新聞報道などでこの内容が発表されると、全国ダム建設予定地の住民補償金吊り上げ走り交渉長期化する例も出た一方で補償に関する法整備重要性官民両方から叫ばれ1961年昭和36年)には「公共用地取得に関する特別措置法」が制定され、後の「水源地域対策特別措置法」への礎となって行く。 補償事件は、結局電源開発側が一旦受け入れた斡旋案を拒否し改めて低水準での補償金額による妥結住民側に呈示した1954年昭和29年4月14日50戸の住民のうち32戸が補償内容応じ交渉受け入れた電源開発はこれ以降東北電力出身田子倉発電所建設所長となった友義を総責任者として「補償対策推進本部」を設置土地収用法による強制収用視野入れながら残る住民との補償交渉臨んだ1955年昭和30年)に入ると残る18戸の内13戸も補償基準に応じて交渉妥結した。しかし残る5戸は最後まで応じず、測量妨害などを行い抵抗したが、最終的に1956年昭和31年7月25日補償基準に応じて妥結。こうして、足掛け8年に及ぶ補償交渉は完全に妥結した。だが、補償交渉第一線臨み只見川の鬼」と罵倒され、命を危険に冒しながらも誠意持って住民向き合ったは、激務祟り視力悪化させ、ダム完成を見ることなく職を去ることとなったまた、この後電源開発初代総裁高碕達之助らの意向もあって、補償問題でしばしば長期化した建設省施工ダム事業とは一線を画し御母衣ダムにおける『幸福の覚書』に知られるような独自の補償方針を貫くこととなる。

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