日本のダム事件・訴訟
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庄川流木事件(岐阜県 - 富山県・庄川・小牧ダム。1918年・大正6年 - 1933年・昭和8年)〔小牧ダム#庄川流木争議も参照されたい〕庄川水力電気 が小牧ダムを建設することで、木材流送(上流で伐採した木材を河川に流して輸送する方法。木流しとも)が不可能になることに反発した平野増吉率いる飛州木材が慣行流木権を根拠として激しく争った事件。行政訴訟(堰堤実施設計認可取消請求ほか3件)では流木権は一応認められたがダム建設に係る認可処分の取り消しは認められなかった。民事訴訟(流木権確認並びに妨害排除請求事件)でも慣行流木権が認められたが、流木権を基礎とした妨害排除請求としてのダムの撤去請求は認められず、またダムの撤去に代替する損害賠償800万円の損害賠償請求も認められず、たださしあたりの損害賠償として20万円の損害賠償が庄川水力電気に命じられただけであった。但し、この20万円の損害賠償は、飛州木材の流木が反覆して妨げられるたびに請求可能とされ、電力会社側にとっては実質的には飛州木材との間に早急に事態の解決協議を迫るものであった。電力会社は直ちに控訴した。大阪控訴院への控訴直後に飛州木材の実質的な大株主であった三代目乾新兵衛が急逝したため、その長男(四代目乾新兵衛・乾新治)に対し大同電力の副社長増田次郎を通じて飛州木材の株式の買い取りを打診、電力会社側は株式の買い取りに成功し平野増吉を飛州木材の取締役から解任した。飛州木材には電力会社側の意を汲んだ者たちが送り込まれ、彼らと庄川水力電気・昭和電力・神岡水電 との間で和解が成立した。既に大阪控訴院に係属していた控訴は取下げられ、失業補償と岐阜県管内における代替道路(当時は「百万円道路」と呼ばれた。戦後になってから全通工事が実施され国道156号となる)が建設された。実質的な被告である日本電力や大同電力 の徹底抗戦の姿勢が訴訟を8年間(大正15年5月の行政訴訟提起から昭和8年8月の民事訴訟の控訴取下げまで)も長期化させた。日本におけるダム訴訟のはしりであり、行政事件訴訟法の事情判決制度(31条)の創設のきっかけとなった訴訟事件でもある。 宮田用水事件(岐阜県-愛知県・木曽川・大井ダム。1924年・大正13年 - 1939年・昭和14年)福澤桃介率いる大同電力 が大井ダムを建設することで、濃尾平野の約17,000ヘクタールに及ぶ農地に用水を供給する宮田用水・木津用水の取水が困難になることに反発した農民が、江戸時代から続く慣行水利権を主張して争った事件。大同電力側も河川法で許可された発電用水利権を盾に15年間抵抗したが、1939年に電力側が今渡ダムを建設して用水の取水量を確保することで和解が成立した。 田子倉ダム補償事件(福島県・只見川・田子倉ダム。1953年・昭和28年)電源開発が建設する田子倉ダムによって水没する田子倉地区 の住民が、福島県知事を通じ電源開発に高額の補償を要求。電源開発がこれに応じたことが報道で明るみに出た事件。建設省・通商産業省の反発で撤回されたが、これ以降全国各地のダム水没補償交渉に多大な影響を与えた。 蜂の巣城紛争(大分県 - 熊本県・筑後川-津江川・松原ダム - 下筌ダム。1958年・昭和33年 - 1972年・昭和47年)建設省の高圧的な態度に反発した室原知幸ら住民が、下筌ダム左岸に砦(蜂の巣城)を構えてダム建設に激しく抵抗した日本のダムの歴史上最大の反対闘争。基本的人権や財産権を盾に法廷闘争を繰り広げ、流血事件にまで発展した。公共事業と基本的人権保護の整合性を世に問い、水源地域対策特別措置法をはじめ以後のダム事業・公共事業に多大な影響を及ぼした。 二風谷ダム建設差し止め訴訟(北海道・沙流川・二風谷ダム。1993年・平成5年 - 1997年・平成9年)アイヌ民族の聖地・沙流郡平取町二風谷が水没することに反発した萱野茂ら住民が、ダム建設の差し止めを訴えた訴訟。差し止めは却下されたがアイヌ民族の先住性がこの時認められた。これにより差別的法律といわれた北海道旧土人保護法が廃止され、アイヌ民族の長年にわたる悲願が達成された。 徳山ダム建設差し止め訴訟(岐阜県・揖斐川・徳山ダム。1998年・平成10年 - 2007年・平成19年)日本最大級の多目的ダム・徳山ダムを巡り、水没地の徳山村住民ではなく下流である大垣市の市民団体が、ダムの建設中止を求めて事業者の水資源機構 と争った訴訟。一審・控訴審で原告は敗れ、最高裁に上告してダム建設は憲法違反と訴えたが、上告は棄却され敗訴が確定した。市民団体はダムが完成しても撤去を求め、争う構えを崩していない。 黒部川ダム排砂被害訴訟(富山県・黒部川・出し平ダム - 宇奈月ダム。2002年・平成16年 - )堆砂の根本的改善策として1991年(平成3年)から開始された出し平ダムの排砂により富山湾の漁獲高が減少、2001年(平成15年)には宇奈月ダムとの連携排砂も開始された。富山湾の漁民の一部はこれに反発、民事調停や公害紛争調停も行われたが不調に終わり、2002年に事業者の関西電力を相手に訴訟を起こす。関西電力及びダムを管理する国土交通省北陸地方整備局は洪水時に限定した排砂を行い影響の抑制を図っているが、現在係争中。 発電用ダムデータ改ざん事件(全国各地。2006年・平成18年 - 2007年・平成19年)中国電力の土用ダムで発覚したダムデータの改ざんは、国土交通省や経済産業省のその後の調査で全国各地の水力発電所においても行われていたことが判明。東京電力では八汐ダムの不正取水が明るみに出て、2007年に河川法違反で塩原発電所運用停止という前代未聞の厳しい処分が下った。この問題はさらに原子力発電所のトラブル隠しにまで発展し、電力会社の信頼を失墜させる事態に陥った。
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