日本のチャリティー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 19:46 UTC 版)
仏教の伝来の後、飛鳥時代の頃に皇族を中心として慈善的な活動が行われたとする伝説があるが、本格的な活動は奈良時代の行基からと考えられている。行基は道路や橋といった交通施設や池・用水といった農業施設の建設など公益的な活動に携わった。 平安時代前期には、上流貴族が諸国で貧民救済政策をとる事例が比較的多く見られる。この時期の上流貴族の間では、儒教の精神に基づいて仁政を布くことが理想とされていたためである。 日本のチャリティー史上で特筆すべきは、鎌倉時代中期-後期の叡尊と忍性、そして室町時代中期の願阿弥である。西大寺の僧であった叡尊は、当時賤視されつつあった非人の救済に生涯にわたって尽力した。忍性は社会から疎外されたハンセン病患者の救済に当たり、また医療施設を鎌倉極楽坂に設置して多くの病人の看護に努めた。室町中期に勧進聖として活躍した時宗僧の願阿弥は、応仁の乱前後に大飢饉が日本全国を襲った際、室町将軍足利義政の意を受け、京都を拠点として積極的な窮民救済活動を展開した。これら諸僧の他にも、社会福祉事業に大なり小なり尽力する仏教僧が中世日本には多数存在したが、反対に言えば当時の社会矛盾が大きかったことの表れでもあった。 明治時代になると、西洋からチャリティー精神が紹介され、キリスト教徒や実業家らによる、西洋流のチャリティーが展開していった。その後、財界においてチャリティー活動が活発化し、第二次世界大戦前までは、皇室と財閥が中心となって、日本のチャリティー活動を牽引した。戦後は日本国政府が福祉国家政策を推進し、チャリティー活動の相対的地位は低下した。 第二次世界大戦後の日本で行われている主なチャリティー活動には、歳末たすけあい運動・海外たすけあい運動、赤い羽根共同募金(毎年10~12月)、あしなが育英会(交通遺児への支援)、チャリティーショー・チャリティーコンサート、救世軍の「社会鍋」、大規模災害発生時の日本赤十字社や地方公共団体、マスコミ傘下の社会福祉事業団・基金など公的組織による募金(義援金)受付、インターネットを通じて行うクリック募金などがある。
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