日本のダム事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 03:30 UTC 版)
入鹿池決壊事故(入鹿切れ)(愛知県・五条川。アースダム。1868年・明治元年)大雨によって堤体が越流・決壊。下流の住民941人が死亡し行方不明者多数。明治以降における日本のダム事故において最悪の被害を出す。事故前にさまざまな怪奇現象が報告されたとの伝承がある。 小諸発電所第一調整池決壊事故(長野県・信濃川(千曲川)・バットレスダム。1928年・昭和3年)建設された場所の基礎地盤が不良であったために、崩壊。5人が死亡。その後場所を改めて再建されるがこれはアースダムであり、バットレスダムとしては現存せず。跡地は公園となっている。 幌内ダム決壊事故(北海道・幌内川・重力式コンクリートダム。1941年・昭和16年6月6日)建設時の施工ミスと流木によるゲート閉鎖が原因で、豪雨の際に堤体中央部から貯水が越流・決壊。下流の住民60人が死亡。ダムは1953年(昭和28年)再建されたがその後利用目的が喪失したため1973年(昭和48年)廃止され、砂防堰堤として現存。 平和池水害(京都府・年谷川・アースダム。1951年・昭和26年7月11日)当日未明から降り出した大雨で、灌漑用ため池の平和池が決壊して下流部の集落を濁流が呑みこみ、南桑田郡篠村(現亀岡市篠町)の柏原地区で死者・行方不明者75人、他の地域を合わせて計114人が死亡する大惨事となった。流された遺体の中には、保津峡・桂川・淀川を流れ下って兵庫県明石市の海岸で発見されたものもあった。現在はため池もダムも現存しない。 夜明ダム決壊事故(福岡県 - 大分県・筑後川・重力式コンクリートダム。1953年・昭和28年6月)九州北部に壊滅的被害を与えた昭和28年西日本水害の際、筑後川の濁流がダム両岸より越流し崩壊。ダム本体の水門も破壊された。福岡・大分両県による調査も行われたが、ダム決壊によって下流の水害が増幅されたという推測は否定された。ダムは現存し稼働している。 大正池決壊事故(京都府・玉川・アースダム。1953年・昭和28年8月14日)「集中豪雨」という語句の初見となった南山城豪雨(参考)により、下流のため池と共に越流・決壊。105人が死亡した。ダムはその後1960年(昭和35年)に再建され、1999年(平成11年)には重力式コンクリートダムとして改良され稼働している。 和知ダム第三ゲート崩壊事故(京都府・由良川・重力式コンクリートダム。1967年・昭和42年7月)ダム完成の一月後、ゲートを支える鉄柱の強度不足によって突如ゲートが破損・崩壊。貯水が全て流出、下流で釣り人が1人死亡した。原因が特定されるまで運用は差し止められ、管理者である関西電力は1年後の1968年(昭和43年)12月に稼働を再開した。 藤沼ダム決壊事故(福島県・江花川・アースダム。2011年・平成23年3月11日)東日本一帯に甚大な被害を与えた東北地方太平洋沖地震により、堰堤が崩壊し貯水が全て流出。下流で8人が死亡もしくは行方不明 となった。
※この「日本のダム事故」の解説は、「日本のダム」の解説の一部です。
「日本のダム事故」を含む「日本のダム」の記事については、「日本のダム」の概要を参照ください。
- 日本のダム事故のページへのリンク