庄川流木争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:01 UTC 版)
「日本のダム#日本のダム事件・訴訟」も参照 小牧ダムの建設が開始されてから、庄川流域の有力な木材業者「飛州木材」は1925年、木材流送ができなくなるとして小牧ダムの建設中止を求める仮処分申請を行う。後に電力側と飛州木材側が衝突する庄川流木争議(しょうがわりゅうぼくそうぎ)という騒動の発端でもあった。1926年5月、飛州木材は富山県知事を被告として行政裁判所にダム建設の認可取消の訴えを提起する。また、庄川上流の岐阜県の3村(荘川村、清見村、白川村)も訴訟に加わる(1929年)。1930年に小牧ダムが完成するが、飛州木材はダム堪水が始まる前の4月22日、大阪地方裁判所に湛水禁止の仮処分申請を行い、即日決定した。内容は飛州木材側が30万円の保証金供託を条件にダム工事禁止を認めるものであった。 この決定により、小牧ダムの堪水が出来なくなることで不利になる庄川水力電気側は、この仮処分を覆そうと1930年5月1日に仮処分決定取消の訴えを提起する。大阪地方裁判所による実地検証が行われ、7月10日に飛州木材側の仮処分が取り消された。以後、庄川上流部の流木は庄川水力電気側の負担で行われた。1930年10月21日にダム堪水が開始され11月21日より水力発電が開始された。 敗訴した飛州木材側は、小牧ダムの木材運搬用施設が有効なものでないとして、計画量を超える流木を流し始める。このことにより、ダム湖内に大量の流木が滞留し、木材が送れなくなり下流域の木材業者は死活問題となる。 1933年1月28日に、庄川水力電気側と飛州木材側が衝突し多数の負傷者が出てしまうが、やがて形勢は庄川水力電気側へ有利に働くことになる。相次ぐ訴訟で飛州木材の経営が悪化し、下流域住民は小牧ダムによる水量調整を求める声が強くなりつつあった。そして、1933年8月12日に日本電力、庄川水力発電、神岡水力発電(北陸電力の前身)が飛州木材への経営参画などを柱とする内務省和解案を受け入れて長年にわたって続いた騒動は終結した。 庄川流木争議においては様々な人物が題材として記している。主なものとして、高見順の短編小説『流木』(1937年)、三島由紀夫の短編小説『山の魂』(1955年)、山田和のノンフィクション『瀑流』(2002年)などがある。
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