発電所と流木争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:24 UTC 版)
祖山発電所の竣工直前にあたる1930年11月、庄川では庄川水力電気(浅野総一郎が設立したが当時は日本電力の傘下にあった)によって小牧発電所というダム水路式の発電所が運転を開始していた。この小牧発電所は祖山発電所より13キロメートルほど下流にあった。 小牧発電所に関連して、その建設中から流木争議が発生していた。1926年(大正15年)5月、庄川上流の岐阜県飛騨地方から川を使って木材を輸送していた流木業者の飛州木材が、富山県知事に対してダムの工事認可を取り消すよう請求する訴訟を起したのである。訴訟の中心人物は飛州木材専務の平野増吉で、ダム建設は流木業者が古来からの慣行によって有する「流木権」を侵害していると主張した。翌1927年(昭和2年)、昭和電力は祖山発電所の建設認可を知事から得たが、これによって昭和電力も争議の対象となり、同年5月、祖山発電所の建設認可取り消し請求訴訟も起こされた。 小牧・祖山両発電所の運転開始後も流木争議は続き、さらに神岡水電にも波及した(神岡水電#軌道事業と流材問題参照)。だが1933年(昭和8年)8月、内務省の仲介によって平野が引退した上で電力会社側が飛州木材の経営に参画するという妥協が成立し、庄川水力電気・昭和電力・神岡水電と飛州木材の4社が共同声明を発表、訴訟取下げを含む一切の紛争停止を宣言して庄川流木争議は終結した。
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