軌道事業と流材問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 15:23 UTC 版)
「神岡軌道」も参照 神岡水電は1932年(大正7年)1月、猪谷(富山県婦負郡細入村)と東町(岐阜県吉城郡船津町)を結ぶ三井鉱山の軌道を譲り受ける許可を得て、同年3月8日付でこれを実施した。「神岡軌道」と呼ばれた同線は、明治末期から大正にかけて敷設された神岡鉱山の馬車軌道が前身で、1923年(大正12年)に軌道法に準拠する軌道となった後、1927年(昭和2年)から三井鉱山が運営していた。神岡水電がこの軌道を運営したのは、ダム建設により不可能になる河川を用いた木材流送(流材)を代替するためである。 三井鉱山が高原川第四水力(猪谷発電所)の水利権を得た当初、会社は流材への配慮を義務付けられていた。水利権の許可条件にダムへの流木路設置ならびに使用水量1,100立方尺(30.61立方メートル)のうち400立方尺(11.13立方メートル)の放流が盛り込まれていたのである。しかしこれでは発電事業として採算がとれないので、岐阜県・富山県当局や高原川上流地域の国有林を管轄する大阪営林局と交渉し、官材をすべて神岡軌道にて陸送し流材を代替する、大阪営林局と陸送に関する協定を締結する、という条件で流木路設置・使用水量制限の許可条件解除の許可を得た。そして実際に大阪営林局との協定の交渉を進める都合上、神岡軌道を自社の所有とする必要があったため、神岡水電は前述の通り1932年にこれを譲り受けた。譲り受け価格は57万5000円であった。 大阪営林局との協定は交渉の末、1935年(昭和10年)11月に締結された。協定により神岡水電は、神岡軌道の輸送力増強、軌道の延伸ならびに船津営林署森林軌道との接続、貯木場の新設を義務付けられ、さらに官材を流送相当額の運賃にて神岡軌道で輸送することとなった。 また神岡軌道は官材輸送のほか、飛州木材との流木争議にも関係した。同社は1926年(大正15年)以来、同じく北陸を流れる庄川において慣行流木権を侵害するとしてダム建設を進める庄川水力電気(日本電力系列)ならびに昭和電力に対して訴訟を起こしていたが(庄川流木争議)、高原川でも猪谷発電所のダム建設により木材流送が不可能になったとして損害賠償を求め訴訟を起こした。飛州木材は流木権を主張して実際に高原川上流から多数の木材を流送して争ったので、神岡水電はダムに仮流木路を設けて流木を下流へ流下させ、さらには神岡軌道を用いて流木を運搬することで対抗した。この飛州木材との争議は高原川に関する限り、神岡軌道を三井鉱山から譲り受けて木材流送の代替輸送機関を確保した神岡水電に有利に展開。最終的に内務省の仲介で庄川での争議も含めて和解が成立し、1933年(昭和8年)に飛州木材と庄川水力電気・昭和電力に神岡水電を加えた4社が共同声明を宣言してすべての紛争が終結している。
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