新猪谷ダム
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新猪谷ダム | |
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左岸所在地 | 岐阜県飛騨市神岡町西茂住 |
位置 | |
河川 | 神通川水系高原川 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 56 m |
堤頂長 | 154 m |
堤体積 | 74,000 m³ |
流域面積 | 762 km² |
湛水面積 | 28.0 ha |
総貯水容量 | 1,608,000 m³ |
有効貯水容量 | 1,203,000 m³ |
利用目的 | 発電 |
事業主体 | 北陸電力 |
電気事業者 | 北陸電力 |
発電所名 (認可出力) |
猪谷発電所 (22,900kW) 新猪谷発電所 (33,500kW) 新猪谷ダム発電所 (500kW) |
施工業者 | 西松建設 |
着手年/竣工年 | 1961年/1963年 |
出典 | [1] |
新猪谷ダム(しんいのたにダム)は、岐阜県飛騨市、一級河川・神通川水系高原川に建設されたダム。高さ56メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・猪谷発電所・新猪谷発電所・新猪谷ダム発電所に送水し、合計最大5万6,900キロワットの電力を発生する。
歴史
猪谷発電所の建設
岐阜県飛騨市神岡町、古くは奈良時代から採掘が行われていたとされる神岡鉱山で、初めて電灯による光が灯されたのは1894年(明治27年)のことである。その電気は神岡鉱山が所有する自家用水力発電所からの供給によるものであった[2]。鉱山および高原川の水利権を所有する三井鉱山(現・日本コークス工業)は五大電力の一角・大同電力と共同出資して神岡水電を設立し、電源開発を推進。1924年(大正13年)に跡津発電所(当時6,850キロワット)、1926年(大正15年)7月に中山発電所(当時1,000キロワット)、1929年(昭和4年)に猪谷発電所(当時2万2,300キロワット)と、3か所の水力発電所が続けざまに運転を開始した。3社の事業分担であるが、発電所の建設を三井鉱山が行い、完成後に神岡水電へ譲渡。発生した電力は三井鉱山が使用し、その余りを大同電力が引き取って大都市圏に供給する、というものであった[3]。その後、1939年(昭和14年)になって日本発送電が設立されると、1941年(昭和16年)、神岡水電は中山発電所・猪谷発電所を日本発送電に出資[4]。1942年(昭和17年)、猪谷発電所の上流において、日本発送電の委託のもと進めていた浅井田ダム・東町発電所・牧発電所の建設を終えると、跡津発電所を三井鉱山に譲渡し、解散した[5]。
新猪谷ダム・新猪谷発電所の建設
1951年(昭和26年)、日本発送電の分割・民営化に伴い、高原川における水力発電は北陸電力が継承した。同社は1950年代に神通川(神一ダム・神二ダム・神三ダム)や常願寺川(常願寺川有峰発電計画)など、いくつもの大規模な水力発電所を完成させてきた。1960年代に入っても水力開発の手が休むことはなく、猪谷発電所に再開発の機運が訪れ、新たに新猪谷ダムおよび新猪谷発電所(3万3,500キロワット)が建設されることになった。新猪谷発電所は1964年(昭和39年)1月22日に運転を開始[6]。猪谷発電所については取水口を新猪谷ダムに付け替え、今日に至るまで運転を継続している。
新猪谷ダム発電所の建設
2012年(平成24年)12月21日、北陸電力は新猪谷ダムからの河川維持放流水を活用し、最大500キロワットの電力を発生する新猪谷ダム発電所の運転を開始した[7]。ダム直下右岸に設けた建物内に、横軸フランシス水車と同期発電機からなる水車発電機を1台設置[7]。設備は明電舎製である[8]。年間400万キロワット時の電力量を発生し、年間1,200トンの二酸化炭素排出削減を見込む[7]。
周辺
岐阜県飛騨市神岡町、神岡鉱山から高原川に沿って国道41号を北上すると新猪谷ダムに至る。ダムには両岸に取水口が設けられており、右岸が猪谷発電所、左岸が新猪谷発電所用である[9]。
下流にある新猪谷発電所の隣にあるのは中山発電所である。高原川の支流・ソンボ谷で取り入れた水を使用して発電するものである[10]。猪谷発電所に先んじて運転を開始し、建設が進められている猪谷発電所の工事用電力をまかなった[11]。
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新猪谷ダム空撮
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猪谷発電所
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新猪谷発電所(左)と中山発電所(右)[12]
脚注
- ^ 電気事業者・発電所名(認可出力)については「水力発電所データベース[1] [2]」、「新猪谷ダム発電所 営業運転の開始について」、その他は「ダム便覧」による(2012年12月26日閲覧)。
- ^ 『北陸地方電気事業百年史』11ページ。
- ^ 『北陸地方電気事業百年史』149、150ページ。現在の最大出力は跡津発電所が1万1,850キロワット、中山発電所は1,100キロワット、猪谷発電所が2万2,900キロワットである(「水力発電所データベース[3] [4] [5]」2012年12月26日閲覧)。
- ^ 『北陸地方電気事業百年史』862ページ。
- ^ 『北陸地方電気事業百年史』408、863ページ。
- ^ 『北陸地方30年史』(1982年3月20日、北陸電力株式会社発行)563ページ。
- ^ a b c 北陸電力「新猪谷ダム発電所 営業運転の開始について」2012年12月25日付、2013年1月2日閲覧。
- ^ 『明電時報 2013 No.1 通巻338号 平成24年の技術成果』明電舎、2013年、10ページ。
- ^ 国土地理院の地図より。2010年9月19日閲覧。
- ^ 「水力発電所データベース」2012年12月26日閲覧。
- ^ 『北陸地方電気事業百年史』150ページ。
- ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1977年度撮影)
参考文献
- 北陸地方電気事業百年史編纂委員会編『北陸地方電気事業百年史』北陸電力、1998年。
関連項目
- ダム
- 日本のダム - 日本のダム一覧
- 重力式コンクリートダム - 日本の重力式ダム一覧
- 電力会社管理ダム - 日本の発電用ダム一覧
- ダム再開発事業
- 神岡水電 - 日本発送電 - 北陸電力
- 浅井田ダム
- 神岡鉱山
外部リンク
猪谷発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 15:23 UTC 版)
位置 : 北緯36度27分59.3秒 東経137度14分51.7秒 / 北緯36.466472度 東経137.247694度 / 36.466472; 137.247694 (北陸電力猪谷発電所) 三井鉱山が1919年7月に水利権を得た「高原川第四水力」では、同社の手により猪谷発電所が1923年(大正12年)10月に着工された。岐阜県吉城郡船津町大字土(現・飛騨市神岡町土)にて高原川本流にダムを構築し、富山県上新川郡大沢野村大字猪谷(現・富山市東猪谷)まで導水して同地に発電所を設ける設計である。1929年(昭和4年)6月に完成し、7月1日より発電を開始した。前述の通り、完成後の1931年1月に中山発電所とともに三井鉱山から神岡水電へと譲渡されている。 発電所の概要は以下の通り。 河川名:高原川 発電所出力:最大2万2300キロワット、常時1万1150キロワット 使用水量:30.61立方メートル毎秒 有効落差:93.939メートル ダム:長さ30.3メートル、高さ16.970メートル 水車:縦軸フランシス水車2台(電業社製) 発電機:三相交流発電機・容量1万3500キロボルトアンペア2台 周波数:50ヘルツまたは60ヘルツ50ヘルツの商用電源周波数が使用される関東方面、60ヘルツが使用される関西方面の双方へと送電できるように周波数の変更設備を設けた。 変圧器:4台(芝浦製作所製) 猪谷発電所と中山発電所の発生電力は三井鉱山では消化できないため、すべて発電所渡しにて大同電力に売電された。なお、大同電力は神岡水電から受電した電力を立山水力電気に供給していたが、1927年(昭和2年)上期からは日本電力を通じて大阪方面へと送電するようになり、次いで日本水力の計画が元となっている昭和電力北陸送電幹線が1929年6月に富山県から大阪府まで完成すると、昭和電力が発電所渡しにて神岡水電から電力を購入、大阪で大同電力へと供給する体制へと変更された。
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