東町発電所とは? わかりやすく解説

浅井田ダム

(東町発電所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 07:23 UTC 版)

浅井田ダム
左岸所在地 岐阜県高山市上宝町吉野
右岸所在地 岐阜県飛騨市
位置
河川 神通川水系高原川
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 21.1 m
堤頂長 135.4 m
堤体積 30,000
流域面積 507.0 km²
湛水面積 10.0 ha
総貯水容量 340,000 m³
有効貯水容量 328,000 m³
利用目的 発電
事業主体 北陸電力
電気事業者 北陸電力
発電所名
(認可出力)
東町発電所 (3万1,300kW)
施工業者 間組
着手年/竣工年 1939年/1942年
出典 [1]
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浅井田ダム(あさいだダム)は、岐阜県高山市飛騨市との境、一級河川神通川水系高原川に建設されたダム。高さ21.1メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力発電用ダムである。同社の水力発電所・東町(ひがしまち)発電所に送水し、最大3万1,300キロワットの電力を発生する。

歴史

岐阜県飛騨市・神岡鉱山を流れる高原川は、神通川の支流のひとつで、長野県との県境にそびえる飛騨山脈(北アルプス)・乗鞍岳に端を発する急流である。1922年大正11年)、三井鉱山(現・日本コークス工業)と大同電力は両社の共同出資によって神岡水電を設立し、高原川筋において鉱業ないし電気事業用の電源として水力発電所の建設を進め、1929年昭和4年)には猪谷発電所(当時2万2,300キロワット)の運転を開始している[2]1939年(昭和14年)、日本政府による電気事業管理の一環として日本発送電が設立されると、高原川における発電事業を神岡水電から引き継いで開発の手を上流へと伸ばし、東町発電所・牧発電所の建設に着手した。浅井田ダムは、東町発電所の取水ダムおよび調整池として高原川に建設するもので、1939年(昭和14年)に着工し、1942年(昭和17年)に完成。同年、東町発電所およびその下流の牧発電所(当時2万6,700キロワット)がそれぞれ運転を開始した[3]。神岡水電は1941年(昭和16年)に電力設備を日本発送電に出資したあとも東町発電所の建設工事を日本発送電からの委託を受けて施工し、完成と同年に解散した[4]

1951年(昭和26年)、日本発送電は分割民営化され、新たに9つの電力会社が設立された。この動きの中で、東町発電所・牧発電所が北陸電力・関西電力のどちらかに帰属されるかを巡って問題が生じた。当初、両発電所は関西電力に継承されることとなっていたが、両発電所を含め、北陸地方にある多くの水力発電所が関西電力の手に渡ることに対して富山県や地元の企業らが反発。東町発電所・牧発電所を巡っては、北陸電力と関西電力とが公益事業委員会を交えて交渉した結果、両発電所は北陸電力に帰属することが決定した[5]。こうして、高原川における水力発電は北陸電力が一手に引き受けることとなった。その後、浅井田ダムの上流では北陸電力と、北陸電力が地元企業と共同出資するかたちで設立した富山共同自家発電によって電源開発が進められ、中崎発電所・栃尾発電所・葛山発電所・見座発電所という4つの水力発電所が稼働している。

周辺

岐阜県飛騨市神岡町鉱山の町並みの中に東町発電所がある。付近を高原川が流れ、その上流、高山市との市境に浅井田ダムがまたがる。浅井田ダムは高原川をせき止めて調整池を形成。貯えた水を右岸の取水口から取り入れ、東町発電所に送水する。ダムの幅は135.4メートルで、放流設備として8門の洪水吐ゲートと2門の土砂吐ゲート、合計10門のローラーゲートがずらりと並んでいる。かつては付近の貯木場から双六川や金木戸川方面に向かって森林鉄道双六・金木戸森林鉄道)が敷設されていた。

東町発電所の下流には、牧発電所がある。東町発電所で発電に使用した水を取り入れ、再び発電に使用したのち、高原川に放流している。下流には新猪谷ダムがあり、高原川は同ダムによって再びせき止められる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 電気事業者・発電所名(認可出力)については「水力発電所データベース」、その他は「ダム便覧」による(2010年9月19日閲覧)。
  2. ^ 『北陸地方電気事業百年史』149、150ページ。なお、現在の猪谷発電所の最大出力は2万2,900キロワットである(「水力発電所データベース」2010年9月19日閲覧)。
  3. ^ 『北陸地方電気事業百年史』344、345ページ。なお、東町発電所については1942年より最大出力3万1,300キロワットで変わらず、牧発電所については1942年に水車発電機3台中2台を設置したところで工事が打ち切られており、1958年に3台目が設置されたことで(『北陸地方電気事業百年史』871ページ)、最大出力4万500キロワットとなる(「水力発電所データベース」2010年9月19日閲覧)。
  4. ^ 『北陸地方電気事業百年史』408、863ページ。
  5. ^ 『北陸地方電気事業百年史』524、525ページ。
  6. ^ a b 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1977年度撮影)

参考文献

  • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会編『北陸地方電気事業百年史』北陸電力、1998年。

関連項目

外部リンク


東町発電所

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神岡水電」の記事における「東町発電所」の解説

位置北緯3620分17.5秒 東経13717分54.0秒 / 北緯36.338194度 東経137.298333度 / 36.338194; 137.298333 (北陸電力東町発電所) 猪谷発電所完成後、神岡鉱山需要増に応ずるため三井鉱山跡津川の土第一発電所出力増強するとともに1935年昭和10年)には出力1,100キロワットの土第二発電所建設した。ただしこれらの発電所神岡水電譲渡されていない一方神岡水電高原川上流支流双六川などでの水利調査続け1934年昭和9年)には蔵柱川水利権出願した神岡水電その後開発計画再検討しかねてより申請していた高原川水利権高原川第二第三水力)と蔵柱川水利権統合発電所を1か所に絞って開発する計画立案して1937年昭和12年9月工事実施認可申請する。これに対して当局工期資材の関係から分割して発電所2つとするよう内示したため神岡水電上流側を「東町発電所」と命名しここを先に建設することとした。 東町発電所の建設準備であった1938年昭和13年)に電力管理法公布され8月には関連する勅令により着工されていない出力5,000キロワット上の新規水力発電所はすべて国策会社日本発送電が行うこととなった。東町発電所は出力31300キロワットであるため、これにより権利神岡水電から日本発送電移った日本発送電1939年昭和14年10月、東町発電所の建設命令を受けるが、建設要員準備終えていた神岡水電同社代って出願手続きや施工監督一切請け負い神岡水電の手1940年昭和15年3月着工1942年昭和17年4月1号機9月2号機完成させ、日本発送電引き渡した。 なお、上流側の東町発電所に対して下流側は「牧発電所」と命名され神岡水電ではなく日本発送電直接起工した上で1942年に運転を開始している。

※この「東町発電所」の解説は、「神岡水電」の解説の一部です。
「東町発電所」を含む「神岡水電」の記事については、「神岡水電」の概要を参照ください。

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