設備出資・譲渡と解散とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 設備出資・譲渡と解散の意味・解説 

設備出資・譲渡と解散

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 15:23 UTC 版)

神岡水電」の記事における「設備出資・譲渡と解散」の解説

日本発送電設立時には設備出資対象とならなかった神岡水電だが、1941年5月公告出資命令により日本発送電への設備出資を命ぜられた。対象となったのは猪谷中山発電所と、両発電所間を結ぶ送電線中山線使用電圧6.6キロボルト)である。同年10月1日付で出資実施され設備評価額7175699円50銭とされたため神岡水電には日本発送電株式1435137175650円)が割り当てられ残額4950銭が現金にて交付された。なお日本発送電猪谷中山発電所のみならず神岡水電の全事業移管するよう要請していたが、跡津発電所建設当時事情および神岡軌道三井鉱山から譲り受けた経緯説明してこの両者神岡水電の手に残す了解を得、全事業移管免れた神岡水電建設引き受けていた日本発送電東町発電所は、前述通り1942年9月までに完成した。また長年調査進めていた高原川本流支流双六川蒲田川における約87000キロワットに及ぶ電源開発計画電力管理法により断念せざるを得なくなり一方で既存事業中心であった猪谷中山発電所日本発送電へと出資したため、会社存在意義喪失したかくして会社残った跡津発電所神岡軌道親会社三井鉱山譲渡しさらには職員従業員をも同社引き継いで解散することを決定1942年9月30日付で解散して神岡水電消滅した解散後清算事務1947年昭和22年)まで続けられた。 神岡水電から日本発送電出資され猪谷中山発電所は、太平洋戦争後の1951年昭和26年)、日本発送電解体とともに北陸電力株式会社へと引き継がれた。また三井鉱山へと戻った跡津発電所は、戦後双六川建設され金木発電所とともに引き続き神岡鉱業所の事業支えることになる。

※この「設備出資・譲渡と解散」の解説は、「神岡水電」の解説の一部です。
「設備出資・譲渡と解散」を含む「神岡水電」の記事については、「神岡水電」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「設備出資・譲渡と解散」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「設備出資・譲渡と解散」の関連用語

設備出資・譲渡と解散のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



設備出資・譲渡と解散のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの神岡水電 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS