跡津発電所
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位置 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度24分46.0秒 東経137度19分28.0秒 / 北緯36.412778度 東経137.324444度 / 36.412778; 137.324444 (神岡鉱業跡津発電所) 神岡水電の設立に先立つ1920年(大正9年)4月21日、三井鉱山は神岡鉱業所内に「神岡水電建設事務所」を開設し、高原川支流の「跡津川第一水力」の開発に着手、同じく支流の「ソンボ谷川水力」と高原川本流の「高原川第四水力」の建設準備を始めた。 跡津川第一水力、すなわち跡津発電所の工事は1920年下期より開始された。そして同発電所は1924年(大正13年)12月に落成して運転を開始した。その概要は以下の通り。 河川名:高原川支流跡津川 発電所出力:最大6,850キロワット、常時3,600キロワット 使用水量:2.78立方メートル毎秒 有効落差:335.454メートル 水車:横軸ペルトン水車2台(英国Boving社製) 発電機:三相交流発電機・容量4,500キロボルトアンペア2台(芝浦製作所製) 周波数:60ヘルツ 跡津発電所の建設工事はすべて三井鉱山の名義で行われ、運転開始後の1925年(大正14年)7月になって三井鉱山から神岡水電に譲渡されている。三井鉱山が発電所を建設し、それを神岡水電が譲り受けて運転する、というこの特殊な事業構造はその後の発電所にも適用された。 跡津発電所の発生出力は、三井鉱山神岡鉱業所への供給分を除いて発電所渡しにて大同電力へと売電された。この時点ではまだ関西方面への送電線は建設されておらず、この電力は大同電力の手によって同社傍系の立山水力電気へと供給された。
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