日本発送電への設備出資(第1次)
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「九州水力電気」の記事における「日本発送電への設備出資(第1次)」の解説
1930年代後半、革新官僚によって電力国家管理の方針が具体化され、1936年(昭和11年)3月に発足した廣田内閣の逓信大臣頼母木桂吉がこれを推進、翌1937年(昭和12年)1月に電力国家管理法案の国会提出に至った。法案の内容は、電力を政府が管理し、そのうち発電・送電事業を国営として新設の国策会社に全国の主要設備を出資させる(配電事業は現状維持)というものであった。直後の廣田内閣総辞職で法案が成立することはなかったが、第1次近衛内閣の逓信大臣永井柳太郎によって再び推し進められ、主要火力発電設備・送電設備を新設の日本発送電へと出資させた上で同社に新規の水力発電開発を担当させ、同社が政府管理の下で電力売買を行う、という頼母木案より若干後退した内容で法案の準備が進んだ。そして1938年(昭和13年)3月、「電力管理法」・「日本発送電株式会社法」ほか2法が成立、同年4月5日付で公布された。 電力管理法公布を受けて1938年6月、日本発送電へと出資すべき設備の範囲が以下のように決定された。 発電設備 : 出力が1万kWを超過する火力発電設備 送電設備 : 最大電圧100kV以上の送電線と、5kV以上100kV未満の送電線のうち電力輸送に必要なもの 送電設備 : 最大電圧100kV以上の送電線に接続する変電設備と、5kV以上100kV未満の送電線に接続する受電用の昇圧変電所および給電用の降圧変電所 その他電力管理の都合上必要に応じて逓信大臣が指定した設備 同年8月、日本発送電の設立時に同社へと出資すべき設備が公告され、九州水力電気については西部共同火力発電戸畑発電所と自社中原変電所を結ぶ11kV送電線、同変電所と自社西谷開閉所を結ぶ66kV送電線、それに中原変電所(福岡県戸畑市)を出資することとなった。加えて同年11月には女子畑発電所と上ノ釣開閉所を結ぶ66kV送電線の出資も追加指定されている。 1939年(昭和14年)4月1日付で各事業者からの設備出資が実行に移され、日本発送電株式会社が設立された。九州水力電気の出資財産評価額は138万3410円50銭で、出資の対価として交付された日本発送電株式は2万7668株(払込総額138万3400円、出資対象33事業者中28番目)であった。
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日本発送電への設備出資(第2次)
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日中戦争が長期化し経済統制が各所で強まる中、1940年(昭和15年)7月に発足した第2次近衛内閣の逓信大臣村田省蔵は電力国家管理の強化を推進し、先の永井案(第1次電力国家管理)が不徹底であったとして第2次電力国家管理の方針を打ち出した。この第2次国家管理では第1次で日本発送電への出資対象から外れていた既存水力発電設備も出資対象とされた上に、配電統制にも踏み込み、配電事業も地域別の国策会社に統合するものとされた。政府はまず1941年(昭和16年)4月に電力管理法施行令を改正し、全国の電気事業者に対して日本発送電への設備出資命令を発した。この際、出資期日は1941年10月1日付と1942年(昭和17年)4月1日付の2つが設定された。 九州水力電気については1941年10月分の出資対象(計27事業者)には入らなかったが、1942年4月分の出資対象(計26事業者)には含まれ、1941年8月に出資対象設備が公告された。対象設備は水力発電所5か所(女子畑・三芳・小国・杖立・黒淵各発電所)と出資発電所関連の送電線5路線(発電所間や女子畑中央開閉所との間を連絡)で、出資設備評価額は1642万8835円50銭、出資対価の交付株数は32万8576株(払込総額1642万8800円、出資対象26事業者中10番目)であった。
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日本発送電への設備出資
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第2次電力国家管理に伴って行われた1942年4月1日付の日本発送電への第2次出資(第1次出資は半年前の1941年10月1日付)に際し、北陸合同電気は対象事業者の一つとなった。1941年8月2日付で公告された出資命令によると、日本発送電株式会社法第4条に基づき日本発送電へ出資すべきとされた設備は以下の通りであった(なお、公告では事業者名が北陸合同電気ではなく「日本海電気」となっている)。 水力発電所 : 5か所小口川第一・小口川第二・小口川第三・庵谷第一・庵谷第二各発電所 火力発電所 : 1か所=富山発電所 送電設備 : 送電線7路線 変電設備 : 変電所1か所 出資設備評価額は1698万9395円50銭であり、出資の対価として北陸合同電気には日本発送電の額面50円全額払込済み株式33万9787株(払込総額1698万9350円)と端数分の現金45円50銭が交付された。 なお、日本発送電は第2次電力国家管理に際し、北陸地方(ここでは北陸3県に岐阜県吉城郡を加えた同社富山支店管内を指す)においては日本電力・庄川水力電気・神岡水電・矢作水力・北陸合同電気から合計22か所の発電所を継承している。1939年に大同電力・昭和電力から引き継いだ4か所の発電所とあわせ、1942年4月の第2次出資完了時における富山支店の総発電力は54万2,980キロワットに及んだ。
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