日本発送電の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 05:34 UTC 版)
電気事業再編成中央委員会では、日本発送電所有の施設の分与、及び水力発電における発電用水利権の帰属が重要な議題となった。基本的には「属地主義」として、各地域に存在する全ての施設は新たに設立される9電力会社(北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力)に移管すると定められた。 北海道・中国・四国・九州各地方の水力発電所と水利権、ならびに全国の火力発電所や変電・配電施設については、ほぼ順当に各地域に割り当てられたが、最大の問題になったのは、東北・関東・中部・北陸(新潟県を含む)・関西各地方における河川の発電用水利権の帰属であった。特に中部・北陸地方は、日本アルプスがあること、豪雪地帯が多いことから多くの河川は急流で、水量が豊富であった。このため大正時代には、各電力会社が特に力を入れて水力発電の開発を行った。そしてこれらの水力発電所と水利権は、最初に開発した電力会社が保有するという「一河川一社主義」が厳然として存在し、他の電力会社がそれらの河川に新規参入することは事実上不可能であった。だが9ブロックに地域を分割した場合、この地域については複数の電力会社が様々な協定に基づいたり、あるいは合併による帰属変更などで水利権の所在が複雑に入り組んでおり、難しい対応を迫られた。 同じ時期、政府は国土総合開発法制定(1950年)に伴う22地域の特定地域総合開発計画を策定。戦前に練られた大規模かつ広域の水力発電計画(只見川筋水力開発計画概要・飛騨川流域一貫開発計画・常願寺川有峰発電計画など)が治水・かんがい事業と組み合わせた河川総合開発事業となるに至った。こうしたことは配電地域への電力供給をより確固にさせることができるだけでなく、当該地域における経営基盤の強化にもつながるため、各電力会社は「宝の山」である未開発河川の発電用水利権を簡単に他社へ渡すことに対し強烈に抵抗したのである。特に問題になったのは只見川で、建設中の本名・上田発電所の水利権帰属を巡って東北電力と東京電力が争い、都合2年におよぶ法廷闘争に持ち込まれたほか国会でも問題となり、東北地方対関東地方・新潟県の対立にまで発展した。 最終的に、属地主義の例外として、「中部・北陸の河川における発電用水利権は一河川一社主義を適用する」という中央委員会の「裁定」という形式で、各電力会社は妥協した。その結果が下表の帰属状況であるが、同一水系であっても本流と支流で水利権の帰属が異なる水系(木曽川など)、同一河川であっても上流と下流で水利権の所在が異なる河川(黒部川など)、配電地域以外の電力会社が水利権を全て所有する河川(庄川など)など、複雑な水利権帰属体系となった。信濃川水系では本流と支流、流域によって水利権を所有する電力会社が異なるという状態も発生した。こうした水利権の帰属は多少の変更こそあったものの、基本的には現在も変わっていない。こうした状況を例えると、中部地方を流れる木曽川本流の水は水力発電に限っていえば、流域である名古屋市を中心とする中京圏ではなく、流域外の大阪市など関西圏に電力を供給するために利用されているという状況が続いている。 日本発送電が全国の発送電業務を一手に引受けていたことは、全国の電気産業労働者の労働条件を統一化しやすい条件となっており、総評を牽引する日本電気産業労働組合(電産)の結束力を生み出していたのである。日本発送電を分割された結果、9電力会社間に労働条件の格差が生まれて企業別の新たな組合の結成を促し、電産の闘争力が弱くなることになった。そして会社こそ分割されたが、9電力会社間の閨閥は解体されなかった。
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