日本発祥説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 15:50 UTC 版)
一方、しゃぶしゃぶはあくまでも「水炊きの一形態」という説がある。 水炊きには魚介類・鶏肉・豚肉などと並んで牛肉も使用されていたため、こうした調理法で牛肉を食べるのはさほど目新しいことでは無かった。日本の関西地方には味付けを施さず湯と鍋底に敷いた昆布の出汁で肉や野菜を煮り、しゃぶしゃぶに近い水炊き系の料理があって、現在もなお一般的に食されている。 中央に穴の空いた独特な形式の鍋を使用し、ごく薄切りの肉を、鍋の中で箸を離さずに短時間の湯通しを行うという「様式」を意味する言葉であると解釈するのが適切である。もっとも地方によってはその作法や原義が守られず、実質的には関西地方における通常の水炊きと同じ料理になってしまっている例もしばしば見られる。また、しゃぶしゃぶは一般に取り箸を使用せず、各自が生肉を直箸でつまんだまま鍋に泳がせ口に運ぶというスタイルを取るため、近年では衛生面の見地から嫌忌されることもある。 1935年創業の三重県亀山市の料理店では、「肉の水炊き」を第二次世界大戦前(創業時の昭和10年)から提供していたとしている。 1945年9月、敗戦により寄留先の北京から引き揚げてきた民芸運動家の吉田璋也が、京都の料理屋「十二段家」の西垣光温に、涮羊肉という料理を紹介した。西垣は、吉田の他、交流のあった柳宗悦や河井寛次郎らの助言を得て、羊肉を牛肉に差し替え、日本人の口に合うようゴマダレの味を調整し、火鍋子型の鍋を作らせるなど2年近くの試行錯誤を経て、1947年に「牛肉の水炊き」として商品化した。この料理は評判を呼び、また民芸運動に携わる人たちによって各地に広まっていったとされる。 前述のように「しゃぶしゃぶ」とは、民芸運動家としても知られる永楽町スエヒロの三宅忠一が、この「牛肉の水炊き」を自店で提供する際にオリジナルの商標として命名したものである。 なお、吉田璋也が1962年に故郷の鳥取市に開いた鳥取民藝美術館に併設する「たくみ割烹店」では、吉田自身の命名による「牛肉のすすぎ鍋」が現在も提供されている。
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