日本発送電・関西電力時代
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「安治川発電所」の記事における「日本発送電・関西電力時代」の解説
1938年(昭和13年)8月、電力国家管理実施に伴い大同電力は日本発送電への設備出資命令を受命する。対象設備には安治川発電所も含まれており、翌1939年(昭和14年)4月1日付の日本発送電設立とともに同社へ引き継がれた。一方、大阪市営安治川発電所については当時工事中であったので1941年(昭和16年)11月になって出資命令が出され、1942年(昭和17年)4月1日付で移管された。 日本発送電への継承時、発電所認可出力は旧大同電力発電所分が1万8000キロワット、旧市営発電所分が1万6000キロワットであった。また継承時、前者は改めて「安治川東発電所」として運転されたが、3年後の市営発電所継承時に東西を統合し「安治川発電所」として一体化された。従って日本発送電安治川発電所の認可出力は3万4000キロワットとなった。しかし1945年(昭和20年)3月、前者の設備は比較的遊休であるとして太平洋戦争下の設備供出のため廃止となり、タービン発電機2基・ボイラー14缶は日本軽金属へ、ボイラー8缶は四日市の第2海軍燃料廠へと移設された。 戦後1951年(昭和26年)5月1日に電気事業再編成が実施され、安治川発電所は認可出力1万6000キロワットで関西電力へと引き継がれた。関西電力の時代になると、大容量・高性能の新火力発電所が続々と建設されるようになり、15万6000キロワット発電機が相次いで竣工、1963年(昭和38年)には姫路第二発電所に25万キロワット発電機が出現する。その反面、関西電力発足当初から運転された旧式発電所の廃止が相次ぎ、1964年(昭和39年)4月1日、安治川発電所も木津川・堺・尼崎東の3発電所とともに廃止された。
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