日本発送電・関西電力時代とは? わかりやすく解説

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日本発送電・関西電力時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 06:19 UTC 版)

安治川発電所」の記事における「日本発送電・関西電力時代」の解説

1938年昭和13年8月電力国家管理実施に伴い大同電力日本発送電への設備出資命令受命する。対象設備には安治川発電所含まれており、翌1939年昭和14年4月1日付の日本発送電設立とともに同社引き継がれた。一方大阪市営安治川発電所については当時工事中であったので1941年昭和16年11月になって出資命令出され1942年昭和17年4月1日付で移管された。 日本発送電への継承時、発電所認可出力は旧大同電力発電所分が1万8000キロワット旧市発電所分が1万6000キロワットであった。また継承時、前者改めて「安治川東発電所」として運転されたが、3年後市営発電所継承時に東西統合し安治川発電所」として一体化された。従って日本発送電安治川発電所認可出力は34000キロワットとなった。しかし1945年昭和20年3月前者設備比較遊休であるとして太平洋戦争下設備供出のため廃止となり、タービン発電機2基・ボイラー14缶は日本軽金属へ、ボイラー8缶は四日市第2海軍燃料廠へと移設された。 戦後1951年昭和26年5月1日電気事業再編成実施され安治川発電所認可出力1万6000キロワット関西電力へと引き継がれた。関西電力時代になると、大容量高性能の新火力発電所続々建設されるようになり、156000キロワット発電機相次いで竣工1963年昭和38年)には姫路第二発電所25キロワット発電機出現する。その反面関西電力発足当初から運転され旧式発電所の廃止が相次ぎ1964年昭和39年4月1日安治川発電所木津川・堺・尼崎東の3発電所とともに廃止された。

※この「日本発送電・関西電力時代」の解説は、「安治川発電所」の解説の一部です。
「日本発送電・関西電力時代」を含む「安治川発電所」の記事については、「安治川発電所」の概要を参照ください。

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