日本百名山のその後とは? わかりやすく解説

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日本百名山のその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 17:11 UTC 版)

日本百名山」の記事における「日本百名山のその後」の解説

深田はこの本の出版後も相変わらず山に登り続けて、ぜひ百名山入れたいと思ういくつかの山を知った。それらは標高としては第2線級ではあるが、その山容美しさ品格のある点では3000 m峰にも劣らなかったと記している。1971年昭和46年)に出版され山岳紀行エッセイ集『山頂憩い-「日本百名山その後』では、20座程が紹介された。ニペソツ山については、「日本百名山出版した時、この山をまだ見ておらず、ニペソツには申し訳なかった百名山には入れなかった。実に立派な山であることを登ってみて初め知った。」と記載している。多くの人の意見聞いて若干の山の差替えをするつもりのようであったが、結局1964年出版後百座入替えが行われることはなかった。『山頂憩い-「日本百名山その後』が遺作となり、1971年3月21日登山中の山梨県茅ヶ岳にて、脳卒中急逝した。 なお、本書つづいて深田は、1970年昭和45年)に山岳雑誌岳人』の1月号(第271号)から『世界百名山』の連載始めた41座まで書かれたところで急逝し未完成となったが、『世界百名山絶筆41座』が新潮社より出版された。 登山史の深い検証幅広い文献収集土台としており、日本百名山上の名著とする評価もある。 1982年昭和57年)から、茅ヶ岳山麓山梨県韮崎市深田遺徳を偲ぶ碑前祭である『深田祭』と記念登山イベント毎年実施されている。2002年平成14年12月に、石川県加賀市大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がオープンした2007年平成19年)には屋久島ガイド島津一郎日本百名山48日間6月14日7月31日)で連続踏破し平田和文2002年達成していた最短記録66日間)を更新した2014年には山岳ガイド藤川健がさらに記録短縮し33日間9月1日10月3日)という日本百名山登頂最短記録達成した個人日本百名山登頂記の書籍多数出版されている。

※この「日本百名山のその後」の解説は、「日本百名山」の解説の一部です。
「日本百名山のその後」を含む「日本百名山」の記事については、「日本百名山」の概要を参照ください。

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