日本百名山のその後
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深田はこの本の出版後も相変わらず山に登り続けて、ぜひ百名山に入れたいと思ういくつかの山を知った。それらは標高としては第2線級ではあるが、その山容の美しさや品格のある点では3000 m峰にも劣らなかったと記している。1971年(昭和46年)に出版された山岳紀行エッセイ集『山頂の憩い-「日本百名山」その後』では、20座程が紹介された。ニペソツ山については、「日本百名山を出版した時、この山をまだ見ておらず、ニペソツには申し訳なかったが百名山には入れなかった。実に立派な山であることを登ってみて初めて知った。」と記載している。多くの人の意見を聞いて若干の山の差替えをするつもりのようであったが、結局1964年の出版後に百座の入替えが行われることはなかった。『山頂の憩い-「日本百名山」その後』が遺作となり、1971年3月21日登山中の山梨県の茅ヶ岳にて、脳卒中で急逝した。 なお、本書につづいて深田は、1970年(昭和45年)に山岳雑誌『岳人』の1月号(第271号)から『世界百名山』の連載を始めた。41座まで書かれたところで急逝し未完成となったが、『世界百名山―絶筆41座』が新潮社より出版された。 登山史の深い検証や幅広い文献収集を土台としており、日本百名山以上の名著とする評価もある。 1982年(昭和57年)から、茅ヶ岳山麓の山梨県韮崎市で深田の遺徳を偲ぶ碑前祭である『深田祭』と記念登山のイベントが毎年実施されている。2002年(平成14年)12月に、石川県加賀市大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がオープンした。 2007年(平成19年)には屋久島のガイド・島津康一郎が日本百名山を48日間(6月14日~7月31日)で連続踏破し、平田和文が2002年に達成していた最短記録(66日間)を更新した。2014年には山岳ガイドの藤川健がさらに記録を短縮し、33日間(9月1日~10月3日)という日本百名山登頂の最短記録を達成した。 個人の日本百名山の登頂記の書籍が多数出版されている。
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