配電統制をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:16 UTC 版)
日中戦争開戦後の1938年(昭和13年)3月に電力管理法が成立し、翌1939年(昭和14年)4月に日本発送電が発足、政府が日本発送電を通じて全国の電力を管理するという電力国家管理の時代が始まった。 1940年(昭和15年)になると、日中戦争の長期化という情勢の下で、日本発送電の体制強化に加えて配電事業の国家統制にまで踏み込んだ電力国家管理政策の検討が急速に推進されるようになる(第2次電力国家管理)。同年9月には日本発送電への設備出資対象の拡大および全国を数ブロックに分割して地域内の配電事業をすべて統合してブロック別に一つずつ国策配電会社を設立する、という方針が閣議決定されるに至る。2つのうち日本発送電の体制強化は翌1941年(昭和16年)4月に電力管理法施行令改正という形で実行される。配電統制については同年8月30日、配電統制令公布・施行という形で実施が決定した。 この間、配電統制については区割りについての議論が続いた。まず1940年10月7日、電気庁内の会議で全国を以下のように9ブロックに分割する案が決定された。 北海道地区 : 北海道一円 東北地区 : 東北地方 関東地区 : 関東地方と山梨県・静岡県 北陸地区 : 新潟・富山・石川・福井4県と長野県の南信地方以外、福島県内の新潟電力区域、群馬県内の長野電気区域 中部地区 : 愛知・岐阜・三重3県と長野県南信地方 大阪地区 : 近畿地方 中国地方 : 中国地方 四国地区 : 四国一円 九州地区 : 九州一円と沖縄県 この案では長野県は県内が南北に分割されるため長野県知事から反対意見があり、北陸ブロックをめぐり電気庁内で議論が続けられた。その後10月24日になり、各省との調整を経たうえで電力管理調査会が北陸・中部のブロックを統合した全国8ブロック案を発表した。ところがこの8ブロック案は、富山・石川・福井3県による北陸ブロックの独立運動を招く。しかし結局、1941年4月、逓信省は全国を8ブロックに分割する旨を盛り込んだ「配電事業統合要綱」を発表した。 要綱の発表に伴い同年5月、中部地区における配電会社の設立準備委員会が設置された。参加事業者は東邦電力・日本電力・矢作水力・揖斐川電気工業(現・イビデン)・伊那電気鉄道・長野電気・信州電気・中央電気・中央電力・中部合同電気・日本海電気・京都電灯の民間12社に市営事業を営む静岡市・金沢市を加えた合計14事業者である。
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