配電統制前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 23:38 UTC 版)
日中戦争後の1938年3月に電力管理法が成立し、翌1939年(昭和14年)4月に日本発送電が発足、政府が日本発送電を通じて全国の電力を管理するという電力国家管理の時代が始まった。九州地方では東邦電力など7社が日本発送電へ指定の設備を出資している。こうして政府主導の事業再編が進む一方で電力会社主導による再編もこの時期全国的に相次ぎ、そのうち九州では1937年から1940年にかけて東邦電力が5、九州水力電気が15、熊本電気が5、日本水電が1つの電気事業をそれぞれ統合した。九州水力電気が統合した電気事業には九州電気軌道も含まれており、同社は以後供給事業を失って交通事業専業となり、1942年(昭和17年)には西日本鉄道(西鉄)となっている。 こうした再編を経た1941年(昭和16年)時点でも沖縄県を除く九州7県の電気事業者は民営37・公営12(大口電力供給専門の事業者を除く)に及んでいた。これらのうち電灯10万灯以上を供給するのは東邦電力・九州水力電気・九州電気(旧熊本電気)・日本水電の4社だけで、10万灯未満1万灯以上の事業者も民営では福岡県の幸袋工作所・九州鉄道、長崎県の五島電灯、熊本県の日本窒素肥料、大分県の豊後電気・森水力電気、鹿児島県の加治木電気・大島電気の8社、公営では宮崎県の都城市営・南那珂郡十六ヶ町村組合経営の2事業に限られる。従って7割以上の事業者が電灯数1万灯未満の小規模・零細事業者であり、最も小さい湯島電気(熊本県)に至っては電灯数433灯・年間収入4千円という規模であった。 沖縄県では、沖縄電気に加えて大正期に宮古電気・名護電灯、昭和期に八重山電気がそれぞれ開業していた。会社規模は沖縄電気が最大であり1938年時点で電灯4万灯を供給していたが、他の3社はいずれも1万灯未満と小規模であった。 1941年4月になって九州水力電気が大分県の森水力電気・蒲江水力電気の2社から事業を譲り受けた。よって配電統制では、九州7県の47事業者に沖縄県の4事業者を加えた計51事業者を順次九州配電へと統合していくことになる。
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