配電統制と事業出資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 00:16 UTC 版)
「大阪市営電気供給事業」の記事における「配電統制と事業出資」の解説
1939年4月の日本発送電設立とともにスタートした電力国家管理体制は、夏に始まった深刻な電力不足で早々に行き詰まったが、日中戦争が長期化する状況下で国家管理の見直しではなくむしろ強化することによって問題を解決しようとする動きが強まった。その動きは、1941年(昭和16年)、既存水力発電設備も日本発送電へと帰属させるという日本発送電の強化と、国策配電会社による配電統制の2点(第2次国家管理)に帰結する。そのうち配電統制の分野では、1941年8月30日に全国的な配電統合を企図した配電統制令が公布されるに至った。 配電統制令公布に伴い、1941年9月6日、全国の主要電気事業者に対して配電会社の設立命令が一斉に下った。関西地方においては、大阪府・京都府・滋賀県・和歌山県・兵庫県を配電区域とする新会社関西配電株式会社を設立するものとされ、市営供給事業を営む大阪・神戸・京都の3市ならびに日本発送電・日本電力・東邦電力・宇治川電気・京都電灯・南海水力電気・阪神電気鉄道・阪神急行電鉄・京阪電気鉄道・関西急行鉄道・南海鉄道の11社が関西配電の設立命令を受命した。このとき大阪市が出資を命ぜられた電気供給事業設備の範囲は、送電設備68路線、変電設備31か所、それに指定の配電区域内にある配電設備・需要者屋内設備・営業設備の一切である。 配電統制に際して、出資資産の評価は建設費に基づく評価を1、利益金還元に基づく評価を2の割合で評価する「統合財産評価基準」が採用されたため、収益率の高い市営事業や電鉄会社に有利なものとなった。それもあって大阪市の供給事業設備出資評価額は14事業者中で最大、1億6556万7816円とされた。これにその他資産の出資評価額836万424円47銭を加えた1億7393万240円47銭が関西配電への継承資産で、反対に同社への継承負債は皆無であった。 1942年(昭和17年)4月1日、国策配電会社関西配電が発足、これと同時に市営配電事業は挙げて同社へと出資され、大阪市営電気供給事業は消滅した。1億円を超える現物出資の対価として、大阪市には関西配電の50円払込済み株式331万1356株(払込総額1億6556万7800円、総株数1120万株に対し29.6%に相当)と現金836万440円47銭が交付されている。また市から関西配電へは従業員のうち3508人が引き継がれたほか、電気局長木津谷栄三郎が関西配電副社長、電気局で部長・課長を務めた3人が同社理事へと転じた。
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