配電統制に伴う市営事業の終焉
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「金沢市営電気供給事業」の記事における「配電統制に伴う市営事業の終焉」の解説
1930年代後半に浮上した電力国家管理政策により、1939年(昭和14年)4月、全国の事業者から主要電力設備の現物出資を受けて国策電力会社日本発送電が設立された。この段階では北陸地方を本拠とする電気事業者で日本発送電へと設備を出資した事業者は存在していない。また日本発送電は設立当初、主要水力発電所の発生電力を買い入れ、これを電気事業者に対し供給する、というのが主たる業務であったが、金沢市とは送受電の関係は生じていない。 続いて1940年代に入ると、日本発送電の体制強化と配電事業の統合・国家統制を目指す動きが生じる(第2次電力国家管理)。この動きに対して日本海電気の主導によって北陸地方単独での自主再編を目指す動きが急速に具体化され、1941年(昭和16年)3月には合併契約調印へと至った。合同に参加したのは日本海電気・高岡電灯・金沢電気軌道・小松電気・大聖寺川水電・越前電気の6社に各社の関係会社6社をあわせた合計12社。これは福井県の大部分に供給する京都電灯を含まないが、北陸3県の主たる民間事業者を網羅する。そして同年8月1日に12社合同が成立、新会社北陸合同電気株式会社が発足した。ただし金沢市は北陸の主要事業者であるが公営で事業形態が異なるため、この合同への参加を見送った。 北陸合同電気成立直後の1941年8月末、第2次電力国家管理の一環として国策配電会社による配電統合を盛り込む配電統制令が施行された。今度の配電統制は金沢市営事業も統合対象とするものであり、1941年9月6日、金沢市と北陸合同電気・京都電灯・日本電力の4事業者に対し配電統制令に基づく「北陸配電」の設立命令が交付された。金沢市が命令されたのは、水力発電所6か所、送電線17路線、変電所6か所、それに北陸配電の配電区域内にある配電設備・需要者屋内設備・営業設備の一切の北陸配電への出資である。 翌1942年(昭和17年)4月1日に富山・石川両県と福井県の若狭地方を除く地域を配電区域とする北陸配電が発足し、金沢市営電気供給事業は消滅した。これを受けて前日付で事業を所管した金沢市電気水道局は解散、局長以下多くの職員が北陸配電へと移籍していった。
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