軌道事業廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:10 UTC 版)
「箱根登山鉄道小田原市内線」の記事における「軌道事業廃止」の解説
自動車の交通量が増大する中で、道路交通の大動脈である国道1号線改修計画が神奈川県から持ち上がり、県は車道下を流れる小田原用水の歩道下への移設と共に国道1号線上を併用軌道で占有していた軌道線の撤去を小田原市長に求めた。小田原市としても小田原駅前や市内の道路と交通体系の整備を希望しており、小田原市長からの軌道撤去要請を箱根登山鉄道は承諾し、神奈川県が9,000万円、小田原市が300万円を補償費として箱根登山鉄道に支出して1956年(昭和31年)5月31日を最終日に営業を終了した。 最終日は子供は運賃無料で、モールや「電車まつり」の看板等で装飾した車両を運行した。路線バス転換による軌道線の発展的解消の祝賀ムードの中で「祝市内線撤去」のアーチ看板が小田原駅前広場入口に掲げられ、翌日から1日60往復の代替バスが運行を開始して市内交通は自動車時代に突入した。
※この「軌道事業廃止」の解説は、「箱根登山鉄道小田原市内線」の解説の一部です。
「軌道事業廃止」を含む「箱根登山鉄道小田原市内線」の記事については、「箱根登山鉄道小田原市内線」の概要を参照ください。
- 軌道事業廃止のページへのリンク