軌道事業廃止から吸収合併へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:53 UTC 版)
「旭川市街軌道」の記事における「軌道事業廃止から吸収合併へ」の解説
残された師団線(戦後は近文線とも呼称)は、師団の兵舎や官舎が学校や工場、引揚者住宅などに転用されたこと、師団東側に野球場や総合競技場などの公共施設が完備したことなどから輸送需要が見込まれ、かつて陸軍省の反対により陽の目を見なかった北海道神社前 - 市営球場前 - 競馬場北口前間を新たに建設した。昭和27年度に約463万人であった旅客数が昭和29年度には500万人を超え運輸状況は好転しつつあったが、設備の老朽化で営業費が増大して経営を圧迫したために、1956年(昭和31年)6月8日限りで軌道線全線の運輸営業を廃止して路線バスに転換された。 軌道事業廃止後はバス事業専業となり、旭川バスと社名変更の上営業を継続したが経営は不振で、同社の株主の過半数が会社設立時から縁の深い旭川電気軌道に事業の補助を願い出る事態に至る。旭川電気軌道では同社の役員が旭川バスの株式の過半数を保有して経営権を取得し、1967年(昭和42年)4月に両社の役員を交換の上で1968年(昭和43年)4月、同社を吸収合併した。旭川電気軌道を存続会社として旭川バスは解散し、旭川市街軌道以来の独立した交通事業者としては消滅した。旭川電気軌道が旭川バスから引き継いだバス路線はその後整理・統合をされたが、2012年(平成24年)現在でも運行を継続している。 なお旭川市民は旭川電気軌道の電車(東川線・東旭川線)を「郊外電車」、旭川市街軌道の電車を「市内電車」、と呼んで区別していた。
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