プライベート面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:47 UTC 版)
来生えつこによれば、幼少期はぼうっとした子で、何度訂正しても“えんぴつ”を“いちんぷ”と表現する等、いくつかの単語を間違えて覚えていたという。また、中村錦之助、片岡千恵蔵、大友柳太朗等の影響でチャンバラごっこをしたり、風呂敷を羽織って月光仮面を気取ったりしていたが、基本は内弁慶で、その傾向は成人してからも変わっておらず、都会っ子の脆さを持ったシャイな人間だという。自身もその傾向は認めており、家を一歩出ると大人しくなると述べている。自身の性格を対人恐怖症気味と評している通り、テレビやラジオ出演時のトークは苦手で、基本的に寡黙で淡々としているため、司会者や出演者にその点をつっこまれたり気を遣われたりすることも珍しくない。プロとしての初ステージではMC用の台本を用意していたほどである。姉弟が揃ってメディアに出る機会はあまりないが、一緒に出演する時は来生えつこが積極的に喋る傾向にあり、“しっかり者の姉とシャイな弟”という微笑ましい関係が窺える。 思想家・岸田秀の“全ては幻想である”という主張に衝撃を受け、オフィシャルホームページの企画“来生たかおトークセッション”の第3弾 では対談も実現させている(岸田秀著『官僚病から日本を救うために 岸田秀談話集』〈新書館/2009年5月〉に収録)。また、好きな言葉は“色即是空、空即是色”(般若心経の一節)と語り、“前向き・プラス思考という言葉は好きではない”“年を取るとピュアな恋愛なんて不可能”等、ネガティブな発言も少なくなく、自分は厭世的な人間であるとも告白している。ラジオ番組において“大きな野望・小さな野望”との問いを投げ掛けられた折り、“昔から大きな夢も野望もない”と前置きをしつつ、強いて言えば、大きな野望は“かみさんと車で日本全国の温泉巡り”、小さな野望は“タクシーの運転手”と述べている。一方、テレビ番組で“幸せとは?”と問われた時は、“一言では言い表せないこと”と答えている。 35-45歳の頃、来生えつこの仲介により、山口昌男を中心としたテニスサークル“山口組”に夫婦共々参加し、栗本慎一郎や村上龍等とプレーしていたという。また、将棋棋士の田丸昇や高橋道雄ともテニス仲間で、プロテニスプレーヤー・福井烈に相手をしてもらったこともあるという。 来生えつこ率いる草野球チーム“ビコーズ”に顔を出していた時期もあるが、現在はプロの試合観賞がもっぱらで、読売ジャイアンツや楽天イーグルスのファンで、贔屓のチームが負けると食が進まず、プロ野球ニュースを全く観ないほど機嫌が悪くなるが、逆に、勝つとほとんどのスポーツニュースを観ると語っている。近年は国内よりメジャーリーグの方に興味が移りがちらしい。 また、将棋、麻雀、パチンコ等の屋内ゲームを好む。東久留米の将棋クラブに所属し、米長邦雄や田丸昇等と対戦したこともあった。居飛車を得意とし、井上陽水と指した時は勝ったという。麻雀は、井上陽水をはじめ松任谷正隆・由実夫婦ともよく囲んでいたらしい。パチンコは、その儲けで自宅の風呂を改築したこともあった。さらに、かつては『ゼビウス』や『スペースインベーダー』等のアーケードゲームにも興じ、自宅にゲーム機を持ち込む程ハマっていたとのことで、自他共に認める凝り性の気質が窺える。なお、麻雀、将棋に関しては、オフィシャルホームページの企画“来生たかおトークセッション”の第1弾、第2弾 で、プロを交えた対談を行っている。 2003年の小津安二郎生誕100周年をきっかけに、それまでほとんど関心がなかったその作品に一気に傾倒し、アルバムのデザインワークにその雰囲気を反映させている。また、オリジナルアルバム『avantage』には、同監督作品の『長屋紳士録』(主演:飯田蝶子)で笠智衆が歌った“のぞきからくり”の一節に個人史を載せた「夢の途中譜」を収録している。MCや番組出演時には、同監督作品も含め、映画の話題を切り出すことも少なくない。 大の愛煙家で、煙草(およびコーヒー)がなければ曲が作れないとまで語っている。1983年に不整脈が出たのをきっかけに、銘柄を「ハイライト」から「セブンスター」に替えたものの、1990年のインタビューでは日に約60本吸うと明かしており、1997年のラジオ番組では“健康のために吸っている。止めたらガン細胞が動き出して肺がんになる。どうせ死ぬわけだし、危険を遠ざけて生きるのはつまらない”と独自の哲学を語り、日に約80本吸うと述べている。なお、この時、好きなコーヒーはキーコーヒーのアイスと述べている。 ウニ、イクラ等の高級な食材は食わず嫌いの傾向にあり、コンサートツアーで各地を回る時もあまり名産に興味が持てず、普段から、ラーメン、炒飯、スパゲティ等を好む。来生えつこからは、味覚は子供の頃と変わっていないと揶揄されたこともある。 愛車はミニ・クーパー。将来的にはもっと楽に免許を取得できるシステムになるだろうと考え、もっぱら妻の車の助手席に陣取っていたが、49歳で一念発起し一発合格を果たした。きっかけは、同じように長らく車の運転をしなかった井上陽水が免許を取得したことにあるらしく、その井上は、来生が自動車学校に通い始める数日前に会食をし、その後、帰路の途中まで自分の車で送った事実を引きつつ、万事変化を望まないイメージの来生が運転を始めた意外さに言及している。また、オリジナルアルバム『Dear my company』に作詞およびコーラスで参加した際、ミニ・クーパーの座席にギルバート・オサリヴァンのCDケースがさりげなく置かれていたことに気付いたという。 ゴールデンレトリバーの“マル”(現在は2代目)、ミニチュアダックスフントの“ミミ”を飼っており、愛犬の散歩も趣味の一つとしている。散歩中にメロディーを考えたり、歌詞をそらんじることがあるという。東京都内にある小金井公園を散歩コースの一つにしており、園内の売店で販売しているコロッケがお気に入りとのことで、同売店では一時期“来生たかおさん推薦コロッケ 1個100円”との謳い文句が使われていた。 “かみさんはご飯みたいなもの(=飽きない)”と述べ、その愛妻家振りが窺える。出会いは1978年、コンサート会場の楽屋だった。 お笑い芸人の小島よしおと誕生日(11月16日)が同じことを知り、急に親近感が湧いたと述べている。また、お笑いグループの我が家が面白いと発言している。 コンサートツアーの1 - 2週間前になると、よく同じ夢を見るという。開演間際にも拘わらず何も準備ができておらず、訳も分からず出鱈目に歌い出すと客席からブーイングが起きる、という内容だと吐露している。また夢の中で作曲をしていることがあり、とても良い曲と感じつつも目が覚めると思い出せないという。
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