ジョック・クリア
(ジョック・クレア から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/14 08:03 UTC 版)
ジョック・クリア Jock Clear |
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クリア(2016年バーレーングランプリ)
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生誕 | (1963-09-12) 1963年9月12日(59歳)![]() |
国籍 | ![]() |
職業 | 自動車技術者(レースエンジニア) |
ジョック・クリア(Jock Clear、1963年9月12日 - )は、イギリスの自動車技術者であり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のエンジニアとして知られる。日本語では「ジョック・クレア」と表記、発音されることもある。
経歴
初期の経歴
ポーツマス出身のクリアは地元のポーツマス・グラマースクール(英語版)を卒業した後、スコットランド・エディンバラのヘリオット・ワット大学で学び、機械工学の単位を得て1987年秋に卒業した[1]。
デザイナー
卒業後は造船会社で働いていたが、ある時、ヒストリックカーイベントで友人が古いF1車両を走らせ、その手伝いをしたことがきっかけでクリアは自動車レースに興味を持ち、1988年にローラ・カーズに入る[1]。ローラでは、当時F1のラルース用の車体設計をしていたクリス・マーフィーの下で設計エンジニアとして働いた[1]。ここでクリアはCAD/CAMといったコンピュータ支援を用いた設計手法の開発や、コンポジット(複合素材)についての開発で手腕を発揮したことで、その評判は他チームにも広まった[1]。
そうして、1989年にベネトン・フォーミュラに2年契約で雇われ、ジョン・バーナードの下でコンポジット設計の責任者として働いた[1]。その後、バーナードはチーム代表のフラビオ・ブリアトーレと決別したことで1991年半ばにチームを去り、それに伴ってクリアもレイトンハウスに移籍した[1]。
レイトンハウスではグスタフ・ブルナーの下でシニアデザイナーを務めていたが、1年ほど経った頃、ローラ時代の上司で当時チーム・ロータスでシニアデザイナーを務めていたマーフィーから声がかかり、ロータスに移籍した[1]。
レースエンジニア

ロータスでは当初は設計部門で働いていたが、1994年に同チームのドライバーであるジョニー・ハーバートのレースエンジニアに任命され[1]、クリアは以降20年以上に渡り、レースエンジニアとしてキャリアを重ねることになる。
レースエンジニアを始めてほどなく、ロータスは破産したため、クリアはウィリアムズに移り、1995年はデビッド・クルサードのレースエンジニアとなった[1]。
1996年、移籍したクルサードの後任としてチームに加入したジャック・ヴィルヌーヴの担当レースエンジニアとなる[1]。ヴィルヌーヴは1997年にウィリアムズでチャンピオンとなった後、1999年に新チームのブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR / B・A・R)に移籍し、この際、クリアもヴィルヌーヴと共に同チームに移籍した[1]。
ヴィルヌーヴは2003年にチームを去ったが、クリアはその後も同チームに留まり、同チームがホンダ、ブラウンGP、メルセデスと変遷していく中で、さまざまなドライバーのレースエンジニアを担当した。(→#担当ドライバー)
2014年に担当したドライバーのルイス・ハミルトンがチャンピオンとなり[2]、同年末にクリアはスクーデリア・フェラーリと契約した。
フェラーリには(ガーデニング休暇の後)2016年にシニアパフォーマンスエンジニアとして加入し[3][2]、2019年はシャルル・ルクレールのレースエンジニアを務めるとともに[4]、以降はフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のコーチを務めている[5]。
担当ドライバー
クリアがレースエンジニア時代に担当したドライバーは下記の通り。
- ジョニー・ハーバート (1994年・ロータス)
- デビッド・クルサード (1995年・ウィリアムズ)
- ジャック・ヴィルヌーヴ (1996年 - 2003年・ウィリアムズ、B・A・R)
- 佐藤琢磨 (2003年 - 2005年・B・A・R)
- ルーベンス・バリチェロ (2006年 - 2009年・ホンダ、ブラウン)
- ニコ・ロズベルグ (2010年 - 2011年・メルセデス)
- ミハエル・シューマッハ (2011年 - 2012年・メルセデス)
- ルイス・ハミルトン (2013年 - 2014年・メルセデス)
- シャルル・ルクレール (2019年・フェラーリ)
人物
若い頃はラグビーに打ち込んでおり、ヘリオット・ワット大学在籍時も学業の傍ら、ラグビーをしていた[1]。
栄典
- 2007年・名誉工学博士(ヘリオット・ワット大学)
脚注
[脚注の使い方] |
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l “Jock Clear” (英語). Grandprix.com. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b Nate Saunders (2016年3月28日). “Ferrari title would be greatest achievement - Jock Clear” (英語). ESPN UK. ESPN. 2022年2月22日閲覧。
- ^ Laurence Edmondson (2016年3月26日). “Ex-Mercedes engineer Jock Clear makes first Ferrari appearance at Paul Ricard” (英語). ESPN UK. ESPN. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “Jock Clear to be Leclerc's race engineer” (英語). Grandprix.com (2018年11月22日). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “Ferrari to enhance veteran engineer Jock Clear's driver coach role for 2021” (英語). Formula One World Championship official website. Formula One World Championship Limited (2021年12月29日). 2022年2月22日閲覧。
外部リンク
- Jock Clear - Grandprix.com (英語)
2010年 - 現在
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1994年 - 現在
エンジン/PU供給 |
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1952年 - 1955年
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※役職等は2023年1月時点。 |
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チーム関係者 RA099 (HRD) プロジェクト |
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チーム関係者 第3期 | |
第3期-1 (BAT) (2000-2002) |
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第3期-2 (BAR) (2003-2006) |
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第3期-3 (ホンダ) (2007-2009) |
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チーム関係者 第4期-1 (ホンダ) |
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