ガソリン自動車メーカー時代とは? わかりやすく解説

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ガソリン自動車メーカー時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:12 UTC 版)

プリンス自動車工業」の記事における「ガソリン自動車メーカー時代」の解説

1952年 当初からガソリン車として開発した初めてのモデルである1500cc車「AISH型乗用車」「AFTF型トラック」を発売車名当初「たま」と予定されていたが、当時皇太子明仁親王同年立太子礼を行うことから、これを記念してプリンス」と命名会長石橋の案とされ、響き良さ狙った外国語車名採用早い例。3月ブリヂストン本社ビルにて展示発表会をおこなう。11月には、社名プリンス自動車工業変更同年プリンス自動車販売設立される新開発富士精密FG4Aエンジン当時日本小型乗用車エンジン最大の1500cc45PSで、形式名は「富士精密ガソリンエンジン4気筒型」の意を略したもの。石橋正二郎以前から所有していた自家用車プジョー202の1200ccエンジン参考拡大設計したOHVエンジンであるが、以後10年以上に渡り改良を受けつつ、「FGA」→「GA4」→「G-1」と名称を変えながら、プリンス主力エンジンとなった。 AISH乗用車プリンス・セダン)は4速シンクロメッシュ・ギアボックスやコラムシフト油圧ブレーキ低床シャーシ備え1952年当時もっとも進歩的かつ最大日本製乗用車であった。もっとも前輪固定軸であり、再び独立式となるのは1956年である。最初試作車完成先行したトラックよりも遅く1952年2月15日だったが、耐久試験十分に行われないままわずか8日後には運輸省の公式試験を受け、翌月3月7日には発表発売踏み切ったここまで無謀な新車発売はほとんど他例がない)。しかも試作2号車東京工業大学公用車として販売してしまった。車格排気量輸入車並み大きいことから市場注目集めたが、耐久試験なども十分に為されないまま量産突入したため、ユーザー生産両面トラブルの連続となり、乗用車メーカーとしての安定した操業にしばし時間を費やすことになった一方、すでに1951年11月試作完成していた1.2t積みトラックは、余裕持った耐久性重視設計によって当時市場好評を得、主力製品となった1954年 2月営業強化のため、東京営業所母体販売会社プリンス自動車販売プリンス自販)を設立4月懸案であったプリンス自動車工業富士精密工業合併実現存続社名富士精密工業とする。10月東京都港区三田プリンス自販本社ビル完成1955年 同年から三鷹工場での設備合理化計画開始合理的な量産体制構築で、大幅な生産コスト低下品質向上を図る同年日本小型トラックでも先駆的なフル・キャブオーバー型車となった「AKTG-1型」を発売荷台大幅に拡大できるメリットがあり、他社先鞭付ける。以降販売主力は常にトラック・バンであった1955年 工学博士糸川英夫とともに日本初ペンシルロケット開発、この固体燃料ロケット技術日産からIHI(IHIエアロスペース)へと引き継がれ現在の固体燃料ロケット基礎となった1956年 プリンス・セダンのビッグマイナーチェンジ型としてAMSH型乗用車発表前輪ウィッシュボーン式独立懸架採用し競合メーカー対抗する1957年 初代スカイライン発売シャーシ設計刷新日本初め後輪懸架ド・ディオン・アクスル採用した。同じ頃、600ccクラス空冷式リアエンジン小型大衆車DPSK型」の開発進め1959年には試作車完成させたが、資金事情から量産化頓挫した1959年 初代グロリア発売(1900cc。戦後の日本乗用車としては初の普通車3ナンバー規格乗用車となる。なお1960年5ナンバー車小型乗用車)の規格が1500cc以下から2000cc以下に変更されたため、以後グロリア5ナンバーとなる) 1960年自動車事業5か年計画」で1964年完了目標とした200億円以上(当時)の大規模設備投資開始1961年 2月社名を「プリンス自動車工業」に変更3月東京都下で村山工場建設着工12月自動車以外ミシンなどを主力としていた浜松工場子会社のリズムフレンド製造として分社化。旧・富士精密系の航空産業部門残存したが、すでに収益の9割以上がこの時点自動車シフトしていた。 1962年 イタリアジョヴァンニ・ミケロッティデザイン依頼した「スカイライン・スポーツ」を発売イタリア人デザイナーへのデザイン発注日本でも極めて早い時期試み商業的に失敗60台弱がハンドメイドされるに留まった。 10月村山工場操業開始テストコースをも備えた大工場で、以後主力工場となる。9月プリンス自販三田本社ビル8階建てに改築販促強化を図る。 1963年 前年発売されていた二代目グロリアS40型)に、直列6気筒SOHCエンジンG7型」(2000cc、105PS)を搭載した「グロリア・スーパー6」を追加日本製本格的な量産乗用車としては初のSOHCエンジン搭載車以後競合他社追随し日本車においてSOHC機構普及するきっかけとなる。 1964年 5月3日鈴鹿サーキット開催され第2回日本グランプリGT-2クラスで、プリンス・ワークスチームの「スカイラインGT」が上位入賞以後日産合併後に至るまでの「スカイライン伝説」の端緒となり、モータースポーツでのイメージアップ貢献同年10月からエンジン生産村山工場集約三鷹工場ドライブトレーン周り生産移行した1965年 5月日産自動車との合併計画発表当時通商産業省自動車業界再編計画と、プリンス自体経営不振背景にあった本体プリンス自動車工業黒字経営だったが、これは販売部門であるプリンス自販在庫強制引き取りさせていたことによるもので、自販値引きによる在庫処分強いられ慢性赤字経営に陥っていた。また、会長石橋正二郎ブリヂストン経営者でもあったため、自動車メーカー経営他社へのタイヤ納入への障害なりかねないゆえの苦渋の選択であったともいわれている。この水面下交渉では、当時通産大臣であった桜内義雄自ら、会長石橋正二郎日産社長川又克二および取引銀行間の調整奔走した1966年 8月1日日産自動車合併日産自動車による実質的な吸収合併)。

※この「ガソリン自動車メーカー時代」の解説は、「プリンス自動車工業」の解説の一部です。
「ガソリン自動車メーカー時代」を含む「プリンス自動車工業」の記事については、「プリンス自動車工業」の概要を参照ください。

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