スカイライン伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:39 UTC 版)
「1964年日本グランプリ (4輪)」の記事における「スカイライン伝説」の解説
1周のみとはいえ、国産車が世界最強・ポルシェを抜いたという「事件」の反響は大きかった。翌日のスポーツ紙一面には「泣くなスカイライン、鈴鹿の華」と見出しが踊り、ホモロゲーション用100台のうち5月1日に売り出された90数台はすぐに売り切れた。スカイラインGTの量産予定はなかったが、プリンスはユーザーからの反響に応えて、オプションだったウェーバーキャブを標準装備するなど各部を改良した「スカイライン2000GT」を販売。「スカG」「羊の皮を被った狼」の愛称で若者に人気を博し、「スカイライン伝説」が築かれていくことになる。 レースにポルシェが出ると分かった時は、スカイラインにとっては大騒ぎになりましたけど、あれが来たことでかえって、レース史上に名勝負の名を残したことになって、スカイラインのイメージがかなりアップされたんじゃないかと思います。 — 櫻井眞一郎 『ニッサンスポーツ』、103頁 プリンスは次の日本GPで打倒ポルシェを果たすべく、日本初のプロトタイプレーシングカー、R380を開発する。以降、1960年代の日本GPでは「国内メーカーのワークスマシン」対「プライベーターのポルシェ」という勝負が続けられた。
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