スカイラインGT-Rの初勝利を阻む?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 01:17 UTC 版)
「高橋晴邦」の記事における「スカイラインGT-Rの初勝利を阻む?」の解説
1969年(昭和44年)春の大学卒業も決まり、そのままトヨタ自販ワークスとして契約し、プロドライバーとなる。同年4月、トヨタ・1600GTを駆って出場した第11回全日本クラブマン(富士スピードウェイ・左回りショートコース)では、ニッサン・ワークス(追浜)のブルーバードSSS(黒沢元治と都平健二)を破り優勝。 同年5月の大舞台JAFグランプリのツーリングカー・レースでは、これがデビュー戦となる初代スカイラインGT-R(PGC10)とトヨタ・1600GT勢との対決となり、排気量的に優勢と見られた2,000 cc のスカイラインGT-R勢に対し、1,600 cc の旧型トヨタ・1600GT勢が応戦。主にギア比の設定が明暗を分け、2、3位が日産勢に奪われる中、高橋のトヨタ・1600GTが猛攻を封じて最初にチェッカーを受けた。しかし速度で勝るGT-Rを直線でもブロックしており、これにコース監察の競技役員が走路妨害の疑いを報告し、競技委員会もこれを確認したため、罰則で1周減算され、総合成績は3位 (クラス1位) となった。
※この「スカイラインGT-Rの初勝利を阻む?」の解説は、「高橋晴邦」の解説の一部です。
「スカイラインGT-Rの初勝利を阻む?」を含む「高橋晴邦」の記事については、「高橋晴邦」の概要を参照ください。
- スカイラインGT-Rの初勝利を阻む?のページへのリンク