プリンスワークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:29 UTC 版)
1963年、日本大学芸術学部工業デザイン科在学中にプリンス自動車(現・日産自動車)とワークスドライバー契約を結び、第1回日本グランプリに出場した。 1964年の第2回日本グランプリではT-Vクラスで優勝。GT-IIクラスではプリンス・スカイラインGTに乗り、式場壮吉が乗るポルシェ・904を抜いて1周トップを走り、「スカイライン伝説」を生み出した。ただしレース前には生沢の友人である式場との間に「1周だけでも前を走らせて」という会話があったとされる(詳細はGT-IIクラスの対決の節を参照 )。同年、イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールに短期入学し、本場ヨーロッパへ挑戦する夢を抱いた。 「プリンス7人の侍」のひとりとしてワークスに所属しながら、プライベートでも自費購入したホンダ・S600に乗りレースに出場した。このS600には友人の本田博俊の伝手でホンダワークスのパーツが数多く組み込まれていたとされる。(詳細は入交昭一郎#エピソードを参照 )。1965年に船橋サーキットで行われた全日本自動車クラブ選手権(船橋CCC)では、浮谷東次郎の乗るトヨタ・スポーツ800と名勝負を演じて敗れた。
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