プリンスワークスの人間関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:39 UTC 版)
「1964年日本グランプリ (4輪)」の記事における「プリンスワークスの人間関係」の解説
ポルシェ対プリンスだけではなく、プリンスのチームメイト同士にも感情のやり取りがあった。生沢は式場に抜き返された後ペースを落とし、3位の砂子の前を塞ぐ格好となった。砂子は「お前がポルシェを追いかけられないなら、俺が行くからどけ」と何度も手で合図し、最後には後方からマシンをぶつけて道を譲らせた。 生沢は自伝の中で、ピットから「スティディ」の指示が出たのでマイペースを守っていたら抜かれてしまった(その際軽くぶつけられ、スピンしそうになった)と述べている。レース後「サインが出ているのに追い越すのは約束違反だ。ましてぶつけて抜いていくなんて」とチームに抗議し、午後のT-Vクラスでは「↓(ペースダウン)」の指示を無視して、チームメイト6台をごぼう抜きにして優勝した(終盤にはピットサインが「↓↓↓」になっていた)。この件でプリンス内部から「生意気な若造」「思い上がり」などと批難され、ワークスの一員としてやっていくのは色々と煩わしいと感じさせられたという。 一方、砂子は「2位の生沢が式場君のポルシェを抜いてトップに立ったのを見て、3位を走っていた俺は『やった、これでプリンスが優勝だ!』って喜んだんだからね」、「俺たちはプリンスを勝たせるためにレースをやっていたけど、生沢は自分が勝つことを優先していたってわけだろうな」と振り返っている。 なお、2年後の第3回日本GPでは、生沢が滝進太郎のポルシェ・906をブロックするチームプレーに徹し、砂子の優勝に貢献している。
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