ぼたもち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 09:50 UTC 版)


ぼたもち(牡丹餅)とは、もち米とうるち米を混ぜて炊いたもの、または単にもち米を蒸したものを、米粒が半分残る程度に軽くつぶして丸め、餡などをまぶした食品[1]。日本で彼岸などに食されてきた行事食の一つである[2]。米を半分潰すことから「はんごろし」と呼ばれることもある[3][4][5]。同様の食べ物に「おはぎ(御萩)」あるいは「はぎのもち(萩の餅)」と呼ばれる食べ物があるが「ぼたもち」との関係については諸説ある(#名称を参照)。
概要
日本の行事食では、餅は神事に、団子は仏事に供されることが多かったが、「ぼたもち」はどちらにも含まれず農休日に食されたという[2]。江戸時代になると「ぼたもち」や「おはぎ」を彼岸や四十九日の忌明けに食べる風習が定着した[2]。
こし餡のものと、つぶし餡のものがある[6]。餡はかつて砂糖が貴重品であった時代には塩餡が用いられていた[4]。砂糖味の餡が広まったのは江戸時代中期とされる[7]。小豆餡のほか、きな粉を用いたもの[4][5][8]、青のりを用いたもの[6][8]、ゴマを用いたもの[6][8]、ずんだ(枝豆)を用いたもの[2][8]、納豆を用いたもの[8]などもある。このほか、すり潰した鬼ぐるみ(または落花生)と豆腐に調味料を合わせてかけたものもある[9]。
また、地域性があり、鳥取県にはサツマイモともち米を一緒に炊いてすりつぶして餡を付けた「いもぼた」[2]がある。
なお、英語でも日本語のまま「Botamochi」と呼ぶ。
名称
「ぼたもち」と「おはぎ」の関係

ぼたもち(牡丹餅)とおはぎ(御萩)の関係については諸説ある。
- 春のものを「ぼたもち」、秋のものを「おはぎ」とする説[7][10][11][12]。
- 語源については、それぞれ、「ぼたもち」については牡丹の花に似せてこれを見立てたものであるとする説があり[13]、「おはぎ」については萩の花が咲き乱れている様子に見立てたものであるとする説がある[14][10]。和漢三才図会(倭漢三才図会)には「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と記されている[2]。その上で春のものは「ぼたもち」、秋のものは「おはぎ」と名前が異なっているだけであるとする説がある[10][15]。
- ぼたもちは、ぼたんの花のように大輪でやや大ぶりのもの[12](丸い形状[8])。おはぎは、萩の花のようにやや小ぶりのもの[12](細長い形状[8])ともいう。
- なお、東京では春秋ともに「おはぎ」と呼んでいたとの指摘がある[10]。
- こし餡を使ったものが「ぼたもち」、つぶ餡を使ったものが「おはぎ」であるとする説[7]
- 秋の彼岸の「おはぎ」は小豆が収穫直後で皮が柔らかいのでそのまま粒あん、春の彼岸の「ぼたもち」は小豆の皮が硬くなってきているのでこしあんで包んだともいう[12]。
- もち米を主とするものが「ぼたもち」、うるち米を主とするものが「おはぎ」であるとする説[10]
- 餡(小豆餡)を用いたものが「ぼたもち」、きな粉を用いたものが「おはぎ」であるとする説[14]
- その他の説
食材事典などでは食品としては同じものであり「ぼたもち」と「おはぎ」は名前が異なるだけで、同じものを指すものとして扱われている場合も多い[16][15]。一般に販売されているものでは季節に関わりなく「おはぎ」の名称のものが多いとされる[2]。
季節ごとの呼称
上記の「同じ物を春はぼたもち、秋はおはぎと呼ぶ」とする説に対応して、夏は「夜船」、冬は「北窓」と称されたともいう[8]。
- 春 牡丹餅
- 夏 夜船(よふね)
- 餅のように臼で搗(つ)かないで作られることから、夜の船のように「いつつ(着)いたか分からない」という意味で「夜船」と称される[8]。
- 秋 御萩
- 冬 北窓(きたまど)
- 餅のように臼で搗(つ)かないで作られることから、「月知らず」(月の見えない北の方角)として「北窓」と称される[8]。
その他の異称
- 掻餅(かいもち)
- 関西や加賀での異称[2]。また、昔はぼたもちのことを「かいもちひ(かいもち、掻餅)」と呼んでいたという[17]。ただし、一部では蕎麦がきを指すとする説もある[17](参考「いざ、かいもちひせむ」(宇治拾遺物語))。
- 鍋擂餅(なべずりもち)
- 秋田での異称[2]。
- 餅の飯(もちのめし)
- 下野、越前、越後での異称[2]。
- 隣知らず(となりしらず)
- 臼でつかないで作ることができ、隣人に気づかれずに出来上がることに由来[2]。
- ふちゃぎ
- 沖縄県での呼称[2]。
文化・習俗
- 最初の子供が産まれて3日目に、母親の乳が出るように「みつめのぼたもち」と呼ばれる大きなぼたもちを食べさせる地域がある[18]。
- 新潟県佐渡には配流された日蓮関連の風習があり、河原田町では御難の日(旧暦9月12日)に日蓮宗の信徒が信徒が牡丹餅にゴマ醤油をかけたものを作る風習がある[19]。また、相川町では十三日講で「なべのふた餅」として牡丹餅を鍋蓋にのせて供える風習がある[20]。
- 神奈川県鎌倉市の常栄寺は日蓮の龍ノ口法難の際に米を握ったものにゴマをまぶしたものを差し上げた故事から「ぼたもち寺」と称される[2]。
- 立花宗茂の正妻である立花誾千代の供養塔が玉名郡長洲町腹赤にあり、その供養塔の形から「ぼたもち様」と呼ばれている[21]。
ことわざ
- 棚から牡丹餅
- 努力することなしに予期しない幸運が舞い込んでくること。「たなぼた」と省略することもある。「開いた口に牡丹餅」ともいう。
- 牡丹餅で腰打つ
- 幸運が向こうから舞い込んでくること。「牡丹餅食って砂糖の木に登る」ともいう[22]。
- 牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない
- 牡丹餅は、餡の甘味を強くするために塩を少量入れるが、入れ過ぎると味が壊れて取返しがつかない。上の句は口数が多い女性をたしなめる下の句を強調する[22]。
- 牡丹餅は米 辛抱は金
- 辛抱が何よりも大切であるということ[22]。
脚注
出典
- ^ “aff 2020年3月号 ぼた餅”. 農林水産省. 2025年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 橋本 まさ子「米の加工品 おはぎ・ぼたもちの地域を基盤とした食文化の伝承」『桐生大学紀要』第28号、桐生大学、2017年、45-62頁。
- ^ 杉田浩一編『日本食品大事典』医歯薬出版 p.557 2008年
- ^ a b c 『料理食材大事典』主婦の友社 p.123 1996年
- ^ a b c 松下幸子著『図説江戸料理事典』柏書房 p.330 1996年
- ^ a b c 『丸善食品総合辞典』丸善 p.166 1998年
- ^ a b c “春の和菓子ぼたもち”. 農林水産省. 2025年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “家庭教育通信 なべかけ 鍋掛公民館 家庭教育支援事業 第19号”. 那須塩原市. 2025年9月3日閲覧。
- ^ “浜通り お月見(さつまいも入りみたらし団子と梨)”. 公益財団法人福島県学校給食会. p. 67. 2025年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e 『丸善食品総合辞典』丸善 p.166 1998年(諸説ある中の一説として紹介)
- ^ 星名桂治著『乾物の事典』東京堂出版 p.210 2011年
- ^ a b c d “浜通り お月見(さつまいも入りみたらし団子と梨)”. 公益財団法人福島県学校給食会. p. 69. 2025年9月3日閲覧。
- ^ a b 『丸善食品総合辞典』丸善 p.1014 1998年(諸説ある中の一説として紹介)
- ^ a b c 杉田浩一編『日本食品大事典』医歯薬出版 p.557 2008年(諸説ある中の一説として紹介)
- ^ a b 星名桂治著『乾物の事典』東京堂出版 p.210 2011年
- ^ 主婦の友社『料理食材大事典』では「牡丹餅」の項目は「おはぎ」への参照となっている(『料理食材大事典』主婦の友社 p.783 1996年)
- ^ a b 大辞林 第3版 「かいもちい」の項。
- ^ “みつめのぼたもち 茨城県”. うちの郷土料理. 農林水産省. 2025年5月10日閲覧。
- ^ 渋谷歌子「新潟県の郷土食に関する研究(第9報)」『県立新潟女子短期大学研究紀要』第17巻、127-136頁。
- ^ 新保 哲「佐渡の庚申信仰 : 相川町を事例にして」『文化女子大学紀要人文・社会科学研究』第18巻、文化女子大学、2010年1月31日、45-62頁。
- ^ “「宗茂・誾千代」ゆかりの地を巡る”. 柳川市. p. 3. 2025年9月3日閲覧。
- ^ a b c “料理のことわざ は行”. キッコーマン株式会社. 2020年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月22日閲覧。
関連項目
ぼたもちと同じ種類の言葉
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