かつて就航していた主な船舶とは? わかりやすく解説

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かつて就航していた主な船舶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:46 UTC 版)

NX海運」の記事における「かつて就航していた主な船舶」の解説

神高丸 (初代) 1970年9月竣工同年10月就航。2663.5総トン全長98.3m、幅16.4m、出力7,200馬力航海速力18.7ノット最大19.9ノット)。単胴船旅客定員662名。車両積載数:乗用車50台、トラック(8t換算80台。福岡造船建造。 「ニュージャンボフェリー」に就航。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1978年頃、船体延長工事施工[要出典]。1990年フィリピン売却神高丸 (2代) 1989年11月竣工就航。3,661総トン全長114.7m、幅20.2m、出力11,400馬力航海速力19.5ノット最大20.5ノット)。単胴船旅客定員495名。車両積載数:乗用車67台、トラック(8t換算62台。福岡造船建造。 「ニュージャンボフェリー」に就航船体には青いラインに青のNマーク塗装されていた。航路廃止後関西汽船購入する計画もあったが[要出典]、2000年台湾売却2003年ギリシャ売却うらが丸コンテナ船1997年竣工。5,818総トン全長 : 137.31m、幅 : 20.0m、深 : 9.0m、出力 : 13580馬力航海速力 : 20.6ノット最大積載コンテナ個数434個(12ft換算)。内海造船瀬戸田工場建造2012年4月、「おやしおライン」終航とともに解役。海外売船され、現在、"HANSUNG INCHEON"(船籍 : 韓国)として就航中ひまわり3RO-RO船1997年竣工全長132.82m、幅21.4m、出力16,830馬力航海速力21.5ノット車輛積載数12mシャーシ20台、最大積載コンテナ個数300個(12ft換算)。福岡造船建造装備ガントリークレーン持ち前半分コンテナ船後半分がRORO船構造と、特徴的な船形をしていた。 就航時の船名は「はかた丸」、2004年改名2013年4月2日ひまわり7就航とともに役され、現在、"SEODONG SKY"(船籍 : パナマ)として就航中第二陽周丸(セメント輸送船)(トクヤマ専用船1988年11月竣工就役。2,012総トン全長 : 86.00m、型幅 : 14.50m、深 : 6.50m、出力 : 2200馬力航海速力 : 12.50ノット 積載トン数4,000トン神田造船所川尻工場建造2016年11月28日解役。 太陽特別管理廃棄物輸送船

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かつて就航していた主な船舶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 22:58 UTC 版)

玉高丸」の記事における「かつて就航していた主な船舶」の解説

玉高丸 1956年中崎造船竣工就航56総トン木造船トラック6台積載可能。のちに第二玉高丸第三玉高丸建造され第十一玉高丸 1962年12月竣工就航1964年改装。194.6総トン(のち235総トン)、全長38.4m、幅8.3m、出力600馬力航海速力10.5ノット最大11.6ノット)。 旅客定員12名。車両積載数:乗用車24台。竹原造船建造1972年12月退役し売船。 第十玉高丸第十玉高丸第十玉高丸1963年竣工1972年退役し売船。(第十玉高丸1964年3月竣工就航1964年小豆島急行フェリー転籍。 (以下、共通の諸元) 270.9総トン全長35.6m、幅8.7m、出力650馬力航海速力10.0ノット最大13.0ノット)。 旅客定員162名?。車両積載数:乗用車24台。浮田造船所建造第二十一玉高丸 1964年9月竣工就航1968年改装。312.0総トン(のち355.4総トン)、全長39.2m、幅9.2m、出力1,200馬力航海速力11.2ノット最大13.0ノット)。 旅客定員263名。車両積載数:トラック(8t換算14台。これ以降讃岐造船鉄工所建造1974年売船。1979年フィリピンに売船。 第二十二玉高丸 1965年4月竣工就航。389.0総トン全長40.6m、幅10.2m、出力900馬力航海速力10.0ノット最大11.17ノット)。 旅客定員350名。車両積載数:トラック(8t換算14台。讃岐造船鉄工所建造1976年10月売船。 第二十三玉高丸→おおべ→豊松丸 1967年12月竣工就航。403.0総トン全長42.0m、幅10.4m、出力1,600馬力航海速力12.0ノット最大14.0ノット)。 旅客定員381名。車両積載数:乗用車40台。讃岐造船鉄工所建造1978年9月瀬戸内観光汽船に売船し、船名を「おおべ」に変更1988年豊島総合開発に売船し、船名を「豊松丸」に変更1993年日本船舶明細書より削除第三十一玉高丸第三十二玉高丸第三十一玉高丸1969年7月竣工就航。(第三十二玉高丸1969年竣工。 (以下、共通の諸元) 498.7総トン全長51.0m、幅11.4m、出力2,000馬力航海速力12.0ノット最大14.0ノット)。 旅客定員480名。車両積載数:乗用車50台。讃岐造船鉄工所建造1980年フィリピンに売船。 第五十一玉高丸第二さかいで1972年竣工。「第三十一玉高丸」(前述)と同型船1980年11月宇高国道フェリーに売船。船名を「第二さかいで丸」に変更し児坂フェリー使用1988年フィリピン売却第五十二玉高丸 1973年8月竣工就航。499.2総トン全長50.8m、幅10.4m、出力2,000馬力航海速力12.5ノット最大14.0ノット)。 旅客定員450名。車両積載数:乗用車50台。讃岐造船鉄工所建造1983年フィリピンに売船。 第七十一玉高丸第八しょうどしま丸 1977年竣工642総トン全長60.1m、幅14.0m、出力2,000馬力航海速力12.0ノット最大14.8ノット)。 旅客定員480名。車両積載数:トラック(8t換算22台。四国ドック建造1989年船名を「第八しょうどしま丸」に変更1990年中華人民共和国に売船。 第七十二玉高丸→さんおりんぴあ 1979年竣工。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船1989年両備運輸売却し船名を「さんおりんぴあ」に変更1999年パナマに売船。 第七十五玉高丸第一しょうどしま丸 1979年12月竣工就航。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船1989年、「第一しょうどしま丸」に変更1990年中華人民共和国に売船。 第七十七玉高丸第八しょうどしま丸 (初代) 1980年竣工。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船1990年、「第八しょうどしま丸」 (初代)変更1993年中華人民共和国に売船。 第七十八玉高丸第八しょうどしま丸 (2代) 1982年竣工。「第七十一玉高丸」(前述)と同型船1992年、「第八しょうどしま丸」 (2代)に変更1998年パナマに売船。 第八十一玉高丸 (初代)第八しょうどしま丸 (3代)→第八玉高丸第五しょうどしま丸 (2代) 1988年11月竣工同年12月就航698828→833総トン全長73.0m、幅14.3m、出力2,600馬力航海速力13.7ノット最大14.7ノット)。 旅客定員480名。車両積載数:トラック(8t換算19台。讃岐造船鉄工所建造高松宇野航路では共同運航相手津国汽船本四フェリー)が運航担当していた(2009年4月1日をもって航路から退役)。 船名は、1997年、「第八しょうどしま丸」 (3代)に変更し岡山小豆島新岡山港 - 土庄港航路へ。2004年、「第八玉高丸」に変更し宇高航路復帰2009年岡山小豆島航路再転用に先立ち第五しょうどしま丸」(2代)に。 2012年3月20日インドネシアに売船。「MASAGENA(マサゲナ)」に改名され尾道港から同国回航中の同3月26日鹿児島県屋久島沖で機関室浸水し電源喪失により自力航行不能に。インドネシア人乗組員12名は第十管区海上保安本部救助された。船そのもの沈没可能性は低いとされ海保漂流しないよう曳航第八十一玉高丸 (2代) 1997年竣工同年10月就航。699→965総トン全長71.6m、幅14.3m、出力2,600馬力航海速力13.5ノット最大14.5ノット)。 旅客定員300名。車両積載数:トラック(8t換算22台。 高松宇野航路就航。同航路では最新船舶だったが、減便に伴い2009年退役その後日本国外売却[要出典]された。 第八十二玉高丸 1989年7月竣工同月就航2001年改装。855総トン全長71.6m、幅14.3m、出力2,600馬力航海速力13.5ノット最大14.5ノット)。 2020年6月13日インドネシア売却され本船(現船名Dharma Rucitra 3)が岸壁着岸直前浸水した当時かなりの積載車輛があった。 旅客定員300名。車両積載数:トラック(8t換算22台。 高松宇野航路就航老朽化に伴い2014年3月22日をもって退役第八十五玉高丸 1990年竣工同年10月就航852総トン全長71.6m、幅14.3m、出力2,600馬力航海速力13.5ノット最大14.5ノット)。 旅客定員300名。車両積載数:トラック(8t換算22台。 高松宇野航路就航2017年3月12日終航。同年3月フィリピンのサンタクララシッピング会社に売船。 第八十七玉高丸 1992年竣工同年9月就航853総トン全長71.6m、幅14.3m、出力2,600馬力航海速力13.5ノット最大14.5ノット)。 旅客定員300名。車両積載数:トラック(8t換算22台。 高松宇野航路就航2017年3月31日終航。同年4月フィリピンのサンタクララシッピング会社に売船。 第一しょうどしま丸2000年9月25日竣工同日就航999総トン旅客定員490名。 全長68.26m、幅14.3m、深さ3.69m、主機ニイガタ 6M30BFT×2 2646kW、航海速力13.5ノット最高速力15.6ノット車両積載数:トラック(8t換算20台。讃岐造船鉄工所建造高松土庄航路から高松宇野航路就航2017年3月13日第八十五玉高丸第八十七玉高丸引退により、高松宇野航路就航宇野航路転じたのちも側面に「Olive Line」「オリーブしまちゃん」が残され土庄航路時代そのまま外観であったが、2017年11月改装玉高丸彷彿させる「四国フェリー」のロゴと「うどん県マーク」が描かれた。ただし赤いダミーファンネルの側面玉高丸にあった四国フェリーSFマークではなく依然としてオリーブイラスト描かれたままである。そして、2019年12月16日宇高航路休止に伴い一線から退く。 ※凡例:(80) - 第八玉高丸、(81) - 第八十一玉高丸、(82) - 第八十二玉高丸 外観 (80) - 宇野港 客室 (81) 屋外デッキ (81) 浴室入口 (81) 客室 (82) デッキ (82) カーデッキ (82) ファンネル (82)

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